大阪府からUターン

石飛さんご一家

「人のつながり」と「自然」に恵まれて子育てをしています。

 

出雲市多伎町出身の健一さんは、進学と就職のため関西で暮らしていた。仕事を通じて京都出身の比登美さんと出会い、平成25年に一家で多伎町の実家にUターン。ご両親と3世代同居で暮らし、島根県農業協同組合に勤める。尚、健一さんの父にあたる正治さんは、いちじく農家。

 

 

出雲市多伎町のご実家にUターンされた経緯は?

健一さん:生まれ育った多伎町を離れたのは、京都の大学に進学するためでした。卒業後は大阪の信販会社に就職しましたが、転勤族だったため関西を転々としていたんです。仕事を通じて京都出身の妻とも出会い、結婚しました。そして、大阪の電機メーカーへの転職を経て実家にUターンし、現在私は農協で、妻は地元の給食センターで働いています。

 

 

Uターンのタイミングを意識されたことはありますか?

健一さん:私は長男だったこともあり、関西に出たときから「いつかは」と思っていましたね。子どもが小学校に入るまでには帰ってきたかったです。幼稚園の転園よりも小学校の転校の方が子どもにとって負担が大きいと思うので。それに、小さいうちから自分のことを知っている近所の方々とふれ合っておく方が子どもの将来のためにいいと思いました。私自身も、ここでは「健ちゃん、健ちゃん」と呼ばれて育ちましたが、関西では「石飛さん」です。同じように、子どもたちにもここでの人のつながりの中で成長してほしいと思いました。だから、帰るなら早い方がいいと思いました。多伎町での思い出やつながりがないと、将来子どもが大きくなって県外に出てもUターンすることはないでしょうしね。

 

比登美さん:私は京都出身なので、多伎町に来る前に不安はありました。ですが、もともと転勤族だったのでどこに行っても一緒かな、子どももいるし友達はできるだろうな、という想いもありました。なので、全く知らないところに行くよりは、多伎町で落ち着いた方がいいと考えていました。

 

 

Uターンされたご感想はいかがですか?

健一さん:ここでは、小学校の規模が小さいのでイベントをやるにしても子どもから保護者、先生まで一緒になってやります。大変ですが、そのお陰で自然と仲良くなり友人の輪が広がっていきます。保護者つながりで伝統芸能の神楽に誘ってもらい、入会しました。私は、子どもの頃にも神楽をやっていましたが、今では娘とともに親子で一緒にやっています。他にも、夫婦でソフトバレーのチームにも入りました。楽しく生活していこうと思えば、周りの人たちとのつながりは大切で、自分たちだけでやっていくことはできません。つながりを大事にしていきたいです。

 

比登美さん:こちらの人は、優しい人が多いですね。最初わからないことだらけでしたが、親切に教えてもらえました。ただ、出雲弁が聞き取れなかったりもするのが大変です(笑)。でも、それが会話の糸口になって盛り上がったりすることもありますよ。

 

 

子育ての環境としてはいかがですか?

健一さん:自然が多いということも、子育てにいい要素だと思います。

 

比登美さん:周りに自然が多い環境なので、子どもたちもおてんば具合が増していっています。外で遊ぶのが大好きで、じっとしていられない感じですね。川で遊んだり、バッタなど生き物を捕まえてきたり。京都ではほとんど虫も見たことはなかったので、最初は親子でキャーキャー怖がっていましたが(笑)。

 

健一さん:海も近いので、親子でよく行きますね。関西にいるときは泳ぐとしたらプールだったので、面白みには欠けていました。岩場のある海で、泳いだり生き物とふれ合ったりするのですが、子どもがとても楽しんでいます。最初子どもは海を怖がっていたのですが、今では浮き輪をつけて遠くまで行けるぐらいになりました。他にも、実家のいちじく畑を駆け回ったり、田んぼで泥だらけになりながら田植を手伝ったり…どれも、関西ではできなかった経験ですね。

 

 

3世代同居のご感想は?

健一さん:住む場所として実家を選んだのは、別居だと子どもと両親が接することがほとんどなくなるからです。こうした、縦のつながりも子どもに経験させておきたいと考えました。

私自身、父のいちじく畑を手伝いに行くためにも近くに住んでおきたいということもありました。生まれ育った場所に帰ったからこそ、昔から知っている人たちとのふれ合いもできています。金銭的にも、家賃などの面から実家に住むことにメリットがあります。

 

 

出雲にUターンを考える人へのメッセージをお願いします。

健一さん:都会とは給与水準が違うので、同じ年収を維持するのは難しいでしょう。転職に際しては、そこがハードルになると思います。ですが、それ以上の価値が手に入ると感じます。まず、実家に両親を残しながら県外に出るというのは、少なからず胸の内に気がかりや「もやもや」があると思います。それが解消されるだけでも意味があります。それに、生まれ育ったまちで子どもを育てられるという安心感があります。自身にとっても、昔から自分のことを知っている人たちが周りにいるということは精神的な支えになります。

都会から地元に帰ってくることは、少しも負けじゃないです。仮に、挫折したり事情があったりして帰ってくるとしても、いつでも「おかえり」と迎えられるものですよ!

 

 

写真・取材・文 NPO法人ふるさとつなぎ 代表 清水隆矢【市よりの委託先】

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