UIターン者の声

大阪府からのUターン

佐藤 孝輔さん

1度は出雲へUターンをした経歴のある佐藤孝輔さん。その後2度目のUターンで、デザイン事業やイベント事業をおこなう「株式会社ビリーフ」へ就職し、さまざまな形で地域の活性を担っています。2回Uターンすることとなった経緯や心境の変化、これからの取り組みについてお話を伺いました。

デザインやイベントのプロデュースを通じて、ビジネスの拡大や地域活性をおこなう「株式会社ビリーフ」。実績には、実際の商店街を人生ゲームのボードに見立てて周遊する「まちあそび人生ゲーム」(株式会社タカラトミーより「人生ゲーム」商標使用許諾取得済み)の企画・デザイン、イベントの実施運営があり、多くの地域で楽しまれています。

 

会社のなかで佐藤さんは、営業・企画・デザイン制作・イベント運営など幅広い業務をおこなっています。20203月の入社当時は3名だった社員数は倍近くに増えて、後輩もでき、忙しくも充実した日々を過ごされています。

 

そんな佐藤さん、出雲には2度目のUターン。

まずは1度目のUターンの経緯を伺いました。

 

「高校までは出雲で過ごしていたのですが、県外の大学に行きたくて福岡の大学へ進学しました。そのあと地元に戻ろうと思って、島根県内のカーディーラーへ就職したのが1度目のUターンですね。」

 

カーディーラーへ就職した1年後、再度県外へ出た佐藤さん。

当時のお気持ちを伺いました。

 

「地元に戻ってくると、ちょっと刺激が少ないと思うようになりました。職場の方々は良い方ばかりだったのですが、基本的には周辺に住む方の来店が多く、当時の自分には物足りない感じがありました。

また、大学でアメフトをしていたのでそちらへの思いも強かったですね。大阪にアメフトの社会人チームがあり、メンバーを募集していたので応募して大阪へ移住することに決めました。」

 

アメフト中心の生活を送りたかったとのことですが、その後の生活はどのようなものだったのでしょうか?

 

「実は、大阪に移住してすぐ骨折して3ヶ月ほど働けなかった時期があるんです(笑)」

 

なんと、移住早々大変なことに…!

お仕事はどうなさっていたのでしょう?

 

「休養している間に仕事をじっくり探しているうちに、広告代理店の仕事内容に興味が出てきたので応募して入社することができました。そこの会社は広告だけでなくイベントも手掛けていて、業務も幅広く面白かったですね。人や出会いにも恵まれていましたし、営業職としてさまざまな経験を積むことができたので良かったです。」

 

大阪で充実した生活を送っていた佐藤さん。

いつ頃から、再び出雲へのUターンを考えるようになったのでしょうか?

 

「アメフトで大阪に行くと決めたときから、身体的に考えて30歳くらいまでかな、と思っていました。そうしたらもう一度戻ろうと。ただ、タイミングを見つけるのが難しくて。

ちょうどその頃、出雲に住んでいたときの同級生もたまたま大阪に移住していたので連絡を取るようになり、週末などに一緒に出雲へ帰省していたんです。帰省している時に地元の友達から一人の女性を紹介してもらって、遠距離ですが付き合うようになって。そのままお互い結婚を意識するようになって…という感じで、結婚がUターンの決定打となりました。」

 

大阪を離れると決めたとき、未練などはありましたか?

 

「アメフトから離れる寂しさも含めて多少はありましたけど、環境的にも身体的にも疲れてきていたので大きな未練にはならなかったですね。

コロナウイルスが話題にのぼりはじめた2020年の2月頃だったので世間がピリピリしている雰囲気もあり、それに疲れたのもあります。」

 

コロナウイルス拡大前、ギリギリのタイミングでのUターンでしたね。

逆に、出雲へ2回目のUターンをすることについてはどのようなお気持ちだったのでしょうか?

 

「地元ですし両親とも仲は良かったので、なんとでもなるかなという楽観的な気持ちはありました(笑)不安はあまりなかったですね。」

 

2度目のUターンを決心した後は、どのように就職活動をされたのでしょう?

 

「大阪から島根に戻ると決めたときから『ふるさと島根定住財団』に登録をして色々探しました。大阪からの経験で、やっぱり広告系の営業職かなと思って、その方向で調べていきました。とは言っても企業数はもちろん大阪より少ないので結構限られていて。たまたま求人を出していたビリーフへ、まずはお話だけでも聞かせていただけたらと思って事務所へ伺いました。

もともと歴史ある会社よりも新しいことができる若い会社が良いなと思っていましたし、イベントなども手掛けていて少数精鋭でさまざまなことに挑戦していける社風に惹かれて、改めて応募し採用いただいた……という流れです。」

 

株式会社ビリーフへ入社されたとほぼ同時期に、コロナウイルスの影響が出雲にも広がってきたことと思います。

会社や私生活への影響はありましたか?

 

4月に入社したのですが、コロナで23ヶ月は全然することがありませんでした。営業に行くこと自体がNGでしたし、イベントも無くなっていたので。社長からは『植物のお世話しておいてね、それも仕事だよ』と言われたりして(笑)

時間があったので、他の社員の方々としっかりコミュニケーションを取れた点は良かったと思います。仕方がないと思いつつ出来ることをこなしていった期間でした。」

 

出鼻を挫かれつつも、日々できることを模索していった佐藤さん。

その後、お仕事はいかがでしたか?

 

「夏くらいから印刷物等のご依頼をいただくことが増えて、コロナの対策を取ったうえでお客さんとお話できる機会が増えていきました。ローカルネタを交えながらお客さんと会話できるのはUターンならではなのかな、と思います。人と繋がりやすく距離感が近い……というか交流を広げられる良さがありますね。そのぶん噂が広がりやすいのですが(笑)大阪とは空気感が違いました。

それぞれ良いところも悪いところもありますが、一度大阪に出たことで出雲の良いところを再発見できるようになりました。」

 

県外での経験が視野の広さとなり、Uターン後の生活に活かされているのですね。そのほかに変化はありましたか?

 

「コロナの関係もありますが、飲みに行く頻度が減りました(笑) 以前は毎晩のように飲み歩いていたのですが、出雲に戻ってからはあまり飲まなくなりましたね。そのぶん自由時間が増えたので健康的にゆっくり過ごすことが増えました。

それと2020年にUターンした後は実家で両親と同居をしていましたが、その後12月に同棲を始め、翌年1月に結婚しました。5月に身内だけで式も挙げたので、一つの区切りになった感じがします。

 

気持ちの面で言うと、『出雲ってこんなところがあるんだ』『こんな商品があるんだ』と改めて認識するようになったことは大きな変化です。1度目のUターンとは違い、社会人になってから再度県外に出てUターンをしたことで、他の地域に負けない『良いもの・こと』はとても意識するようになりました。」

 

改めて出雲の良さを実感しつつ、充実した日々を送る佐藤さん。

そんな佐藤さんへ、将来の夢について聞いてみました。

 

「市役所の職員さんや商店街の方々と交流・連携していくイベントをもっと企画していけたら楽しいですね。出雲初!となるような面白いイベントをつくりあげて地域の活性化につなげていきたいです。

コロナ禍のなかで生まれたビジネスもありますし、終わった後で始まるビジネスもあるでしょうし、考え方ってどんどん変わっていくと思うのでそれにマッチしたことが出来たらいいですね。そういう意味でビリーフは時代に沿った考えや挑戦ができるので今後も頑張っていきたいです。

 

あとは会社が副業OKという方針なので認めてもらえれば、何か面白いことができないかな、という事を友達と話しています。せっかく出雲に帰ってきたので、地元のつながりで色々できれば……もしかしたら話だけで終わるかもしれませんが(笑)」

 

世情を捉えつつ、「人がつながることでできる新しいモノやコト」に目を向けていらっしゃるのですね。今後がとても楽しみです。

最後に、Uターンを考えている方へメッセージをお願いします。

 

Uターンのタイミングは人それぞれですが、僕と同じように30歳前後で考える人は多いんじゃないかなと思います。他の土地で結婚した後ではUターンしづらいと思うので、しっかりタイミングを見極めたほうがいいのでは、と思います。

それと、いつか戻ろうかなと考えている方は定期的に出雲の情報をチェックしておくと良いかもしれません。情報発信しているツールは多いですし、そのタイミングでしか出てこない情報や求人、出会いなどがあると思うので。ピンとくる情報と出会えたらラッキーだと思います。」

 

 

 

 

 

インタビュー当日に職場へお邪魔させていただくと、会社の皆様が明るく迎えてくださいました。佐藤さんは、時に真剣に、時に皆様の輪のなかで和気あいあいとしながら楽しそうに仕事を進めます。

 

大学卒業後のUターンと、大阪からのUターン。さまざまな経験を経て、ご自身のやりたい事とマッチした会社へ入社し充実した日々を送る佐藤さん。

今後、ビリーフや佐藤さんが企画する新たなイベントを楽しみにしています。

 

佐藤さん、貴重なお時間をいただきありがとうございました。

 

 

  写真・取材・文 宇佐美 桃子