UIターン者の声

東京都からIターン

大原 優さん

出雲市駅北口のほぼ向かい、立ち並ぶ店の合間に小ぢんまりとしたクラフトビールのお店「チアーズサバビ」があります。このタップルーム(クラフトビール醸造所が自社製のビールを客に提供する場所のこと)は、東京からIターンした大原さんがビールの醸造責任者、兼、店長として2023年12月にオープンしました。 お店ではこだわりのクラフトビールを楽しめるほか、味に自信のある食事やスイーツも豊富で、年齢・性別を問わず地元客や観光客で賑わっています。 なんとIターン前は東京で教職をしていたという大原さん。どのような想いで教職を目指し、また、出雲でビールを造るようになったのでしょうか。これまでの経緯や今後の展望などさまざまな話を伺いました。

 

福島県で生まれ育ち、大学からは東京に通っていたという大原さん。上京のキッカケは何だったのでしょうか。

 

「幼少期からずっとサッカーをしていて、県大会で優勝するなど福島ではそこそこの成績を収めていました。より高いレベルの所でサッカーをしたい・挑戦してみたいと思ったのがきっかけです。それと昔から教師になることが夢だったのでサッカーが強く、かつ教員免許も取得できる大学を選択しました。」

教師になりたいと思っていたのはなぜでしょうか?

「昔から校則や先生の言動に疑問を持つことが多かったんです。謎のルールや高圧的な態度で抑えつけようとするところとか。もちろんそんな先生ばかりではないですけどね。子どもの頃に面白い大人や格好いい大人に出会う事はすごく大事だと思っていて。それなら自分でそういう大人になってやろう!と思ったのが教師を志したきっかけです。」

福島県出身とのことで、就職の時期的には東日本大震災の影響が少なからずあったと思いますが…。

「そうですね、震災は大学3年生の3月でした。実家は海沿いではなかったので被害はそんなに大きくはなかったのですが、家族と電話が繋がらなくてすごく怖い思いをしました。テレビでは東北の悲惨な映像が報道され、ただただそれを見ることしかできず安否確認も取れない状況、当時の自分にはすごく衝撃的な出来事でした。それに地震の影響で、6月に受ける予定だった福島の教員採用試験自体が無くなってしまったんです。教師になるなら地元でと考えていましたが物理的にできなくなってしまい、関東に残ることになりました。」

関東で教師をすることになりましたが、働いてみていかがでしたか?

「すごく楽しかったです。公立中学校の保健体育の教員をやっていて、やりがいや充実感はありました。ただ授業をやっていくうちに運動の好き嫌いが決まるのはもっと下の年代だなと感じるようになってきて。そこから小学校にも興味が出てきて、働きながら通信の大学に通って小学校の教員免許も取りました。」

大原さんご自身「先生」に対してあまりいいイメージがなかったと仰っていました。子ども達の事を思うと小学校の先生に興味が出るのは必然だったのかもしれませんね。小学校へ勤めるようになり、感じ方は変わりましたか?

「世界が変わりましたね(笑)当たり前のように自分が使っていた言葉が通用しないんです。話すスピードとか、内容とか。だからすごく言葉を選ぶようになりましたし、相手の興味を引くとか、同じ目線に立つ話し方を覚えていきました。コミュニケーション力は小学校ですごく鍛えられたと思います。

数年小学校に勤めた後は、また別の校種にも興味が出てきてしまい(笑)小中とやったら高校も経験してみたいなと思って、私立の高校教師になりました。」

嫌なことや不満があったなどではなく、興味だったのですね。

「そうですね。今振り返ると、これまで嫌だったことやネガティブなことを理由に自分の行動を変えるってことはほとんど無いんですよ。勿論人間なので不満とかは持ちますけど、それを行動の動機にしないというか。自分の心の健康を保つために興味だったりやってみたいという意欲だったり、そういうポジティブなことで行動するように心がけています。」

高校の教師生活はいかがでしたか?

「小中学校とはまた違う事を実感しました。もちろん公立・私立でも多少の違いはあると思いますが。都内の私立や時代ということもあってか、落ち着いている子が多かったですし、どちらかというと僕のほうが校長からパーマやツーブロック(髪型)を注意される事があったくらいです。(大原さんの勤めていた学校は生徒のツーブロックやパーマは校則で禁止されていたとのこと)」

先生らしくない先生だったのですね(笑)

「注意されても直しませんでしたけどね。尖っているとかではなく、『教育の内容に関係ないし私は生徒ではないので』と言って。そんなこともあってか生徒からは一番先生っぽいけど先生っぽくないという評価をいただいておりました(笑)それって自分的にはすごく嬉しくて、先生として信用できるけど、人としては(生徒と)感覚が近いというか。今でも心に残っている言葉ですかね。」

『授業やコミュニケーションはしっかり、でも面白い大人』というのは大原さんが目指していた教師像そのものですが、そこからどのようにしてビールの道へ進むことになったのでしょうか?

「たまたま休日に遊びに行ったイベントでクラフトビールの店が出店していたんです。ビールはもちろん美味しかったのですが、出店の仕方や人の雰囲気とかも含めすごく格好良くて…それで色々と話を聞いたら、島根県の出雲にある『BSKK』という会社で『3rdbarrelbrewery(醸造所)』を展開している、という事で興味が湧いたのがきっかけです。」

島根や出雲のことはご存知でしたか?

「ごめんなさい、地名程度で(笑)行った事も無かったので、そのイベントの翌週くらいに一泊二日で出雲へ遊びに行きました。BSKKでご飯を食べたり、醸造所へ見学に行かせてもらったりして話を聞くうちに『この方達と一緒に面白い事ができたらな』と思うようになって。それから3ヶ月後くらいにまた出雲へ来て、色々考えた結果『教員を辞めて出雲に行こう』と思ったのがビール造りに携わるようになった経緯ですかね。」

すごい行動力と決断力ですね!

「今思うとよく決断したと思います(笑)ただここ数年なかったワクワクドキドキというか、高ぶった感情が溢れてしまい『自分に嘘つけない』といった感じですかね。それで住むところなど面倒をみていただきながらビール造りが始まりました。」

Iターンして実際に出雲へ住んでみて、どんな印象でしたか?

 

「地元の福島に似てるなと思いましたね。車社会なところとか、少し車を走らせると田畑や自然が多くなるところとか。福島よりもタクシーがつかまりにくいとか終電が早いとか、公共交通機関がちょっとシビアだなというのは正直感じました。」

これから楽しみが沢山ですね。チアーズサバビは半年前の202312月オープンと伺っていますが、どんな経緯で開店されたのでしょうか?

11月にBSKKの代表から『駅前にタップルームを開きたい』と話があって、その流れからお店を任せてもらうことになりました。ここは以前喫茶店だったのですが、年末にはオープンするということで急いで壁を塗ったり、椅子の生地を張り直したりして、ほぼ自分達だけで改装しました。知り合いや仲間を半ば強引に巻き込んで(笑)なんとかオープンに至ったという感じです。本当に感謝しかないです。」

レトロな喫茶店の風合いが残る、素敵な店内だと思います。オープンして半年たちますが、普段はどのような生活をしていますか?

「日中は別の場所にある醸造所でビールの醸造や管理をして、週末はお店を開く、というサイクルで生活をしています。お店、ビールの醸造、税務署に提出する帳簿関係などやる事が多くて大変ではありますけどね。Iターンした年はビールの修行で結構頑張っていたつもりですが、2年目は出雲の神様から更に追い込まれている気がします(笑)」

それでも大原さんからはすごく楽しそうで、エネルギーが溢れている印象を受けます。

「『どうせやるなら楽しく』がモットーなんです。楽しくするのもしないのも自分次第、物事の捉え方次第だと思っているので。ビールの製造や管理に加え販売、事務的なことも含め大変なぶん経験や知識を吸収できますし、『やればやるだけ俺は力を付けちゃうもんね、レベルアップ!』みたいな感じで楽しくやってます。」

今後、お店や私生活で挑戦していきたい事はありますか?

「クラフトビールをブームじゃなく文化として根付かせたいと思っています。その定義は難しいですけど。今はまだ価格面も含めて『特別なもの』という印象が強いクラフトビールですが、個人的には量を飲まなくても満足感が高いんです。今の健康志向や、量より質という世の中の流れにも沿っていますし、色々な人が日常的にクラフトビールを楽しめるようになればいいな、と。そんなきっかけとなるビールを造っていけたらと思っています。」

教員の仕事も、ビールの仕事も、誰かの生活や感覚をより良いものにしたいという想いが根底にあるのですね。

「そうですね。美味しいビールを造ることがゴールではなく、何かのキッカケになったり、お店でビールを飲みながら他の人と話が弾んで繋がりができたり、そういう手伝いになれたら嬉しいです。あと教員の頃から目指すものは変わっていなくて、やっぱり若い子達には『上の世代も面白いじゃん、大人になるって楽しそう』って思っていてほしいですし、これからもそういう自分で在りたいです。」

有難うございます。最後に、UIターンを考えている方に一言お願いします。

「出雲はすごくあたたかい人が多くて、どんどん色々な繋がりができていきます。手っ取り早く自分を変えたいときは環境を変えるのが一番ですし、まずは一歩踏み出してみると良いのではと思います。」

 

 

体育教師から出雲でビール醸造家になるという異色の経歴をもつ大原さんですが、「誰かの意識や生活をより良いものにしたい」「下の世代から見て理想の大人であり続けたい」という想いは少しも変わらずに続いています。

最近はお店のお客さんに誘われて、苦手意識のあったマリンスポーツに取り組み、その楽しさを実感したとのこと。何でも挑戦したいし、楽しみたい。そう語る大原さんの笑顔が印象的なインタビューでした。これからのご活躍が楽しみです。

 

大原さん、貴重なお時間をいただき有難うございました。

写真・取材・文 宇佐美 桃子