UIターン者の声

東京都からUターン

大國 史英さん

出雲市神門町出身。大学進学を機に東京へ。25歳で帰郷し、広告代理店や旅館での仕事を経て就農。市内で「おおぐに自然農園」を営み、農薬・化学肥料を使わない野菜や米づくりに取り組む。その傍ら、生産者有志などで「まちなかオーガニックマルシェ」 も運営し、生産者と消費者の繋がりづくりも行う。

「おもしろいこと」「大切なこと」は、

案外足元にありました。

 

出雲市神門町出身。大学進学を機に東京へ。25歳で帰郷し、広告代理店や旅館での仕事を経て就農。市内で「おおぐに自然農園」を営み、農薬・化学肥料を使わない野菜や米づくりに取り組む。その傍ら、生産者有志などで「まちなかオーガニックマルシェ」も運営し、生産者と消費者の繋がりづくりも行う。

 

 

東京からUターンされたきっかけは?

 高校時代、漠然と「東京に出てみたい」という憧れがあり、東京の大学に進学しました。卒業後は、IT企業に1年間勤めていました。東京生活は、楽しかったですよ。ただ、大学時代は尞に入っていたので周りにいつも人がいたのですが、社会人になってからの一人暮らしでは、寂しさを感じるようになりました。また、通勤のとき満員電車で知らない人に囲まれ、無言のまま時が過ぎていきます。言葉にできない孤独感が込み上げるようになりました。

 

 それと、島根なら若者も少ないので、何かやった時に目立ったり一番になったりしやすいだろうとも考え、それもUターンを決めた一因です。今は目立ちたいなんて思わないですけどね(笑)。

 

 

島根に帰ってからはどんなお仕事を?

 地元に人を呼びこむ一助になればとも思い、出雲の広告代理店に勤めました。営業職として、5年弱勤めてから退社しました。その頃、本で県西部にある「吉田屋」という旅館を知りました。昔ながらの旅館を若者で運営している場所で、実際に行ってみると面白かったのでそこで働くことになりました。

 

 

そこから、なぜ農業の道に?

 その旅館は独特で、宿泊業以外にも地域で様々な取り組みをしていました。その中の一つに農園事業があり、私もブルーベリー畑などを手伝いました。そのとき「農業っておもしろいな」って思ったんです。小さな種から植物が育つこと。土・太陽・水の偉大さ。そして、できた作物は自分が食べてもおいしいものだし、お客さんにも喜んでもらえる。「農業を本気でやって、仕事にしたい。」そう思い、旅館を辞めて出雲の実家に戻りました。

 

 

就農にあたって、不安は?

 最初は農業のことは何もわからないし、いきなり生計を立てるのは難しいと思ったので、塾講師の仕事と並行してはじめました。やりながら、少しずつ人づてに農地を借りていき、5年たった今では市内に100アールほどの田畑があります。すべて、農薬・化学肥料を使わない「有機栽培」です。やるからにはいい作物が作りたいというこだわりと、仕事として成り立たせなければいけないというバランスが難しいときはありますね。

 

 

出雲で農業をする魅力は?

 気候・風土的にも、農業に適しているとは思います。ですが、今以上に魅力的にしていきたいですね。今、仲間と「まちなかオーガニックマルシェ」という、有機農業などの生産者が直接消費者に作物を販売できるイベントを運営しています。ゆくゆくは、常設の産直市づくりや大口の販路開拓など、継続的なシステムをつくりたいです。こうした取り組みが根付けば「フォローの体制もあるし、出雲で農業やってみたいな」と思う人が増えると思います。また、「健康的な作物が手に入りやすいなら、子育ての場所としてよさそうだな」と、移住する人もいるかもしれません。

 

 

出雲にUターンを考える人に、メッセージをお願いします。

 僕は高校時代、勉強や部活中心の日々だったので、それ以外のことはあまり見えていませんでした。しかし、Uターンして色々なことを見つめなおすと、おもしろいこと、都会にない大切なことがたくさんあると気づきました。

農業ひとつとっても、子供の頃実家の田んぼを手伝ったりしたときには、価値が全然わからなかったんです。それが今では「こんなにおもしろいものなのか」「こんなに奥深かったのか」と感じています。

東京に出る前は、「おもしろいこと」「大切なこと」は県外や外国など、外にあると思っていました。でも、案外それは足元にありました。大学時代は海外に遊びに行くこともありましたが、今は県外に出ることすら少なくなりました。いいのか悪いのかわからないですけど(笑)。

 

 

写真・取材・文 NPO法人ふるさとつなぎ 代表 清水隆矢【市よりの委託先】

http://hurusatotunagi.jimdo.com/