UIターン者の声

沖縄県からIターン

小原 裕輔さん 祐子さん

大阪府で生まれた裕輔さんは、大学卒業後、京都の広告代理店に勤務。その際、祐子さんとも知り合う。 東京への転勤、外資系生命保険会社からのスカウト、沖縄への移住など紆余曲折を経て2016年に出雲市斐川町出西地区に移住。 出西地区でしか育たないとされている「出西生姜」の無農薬自然栽培に取り組む。

出西生姜の栽培を通じて「健康」や「幸せ」を伝えていきたいです。

 

 

大阪府で生まれた裕輔さんは、大学卒業後、京都の広告代理店に勤務。その際、祐子さんとも知り合う。

東京への転勤、外資系生命保険会社からのスカウト、沖縄への移住など紆余曲折を経て2016年に出雲市斐川町出西地区に移住。

出西地区でしか育たないとされている「出西生姜」の無農薬自然栽培に取り組む。

 

 

沖縄に移住されていたそうですが、そこに至る経緯は?

裕輔さん:大学を卒業した後、広告代理店に勤めて京都と東京で5年間働きました。当時はとても忙しく、深夜まで残業する日も多かったです。

そんなとき、あるきっかけから外資系の生命保険会社よりスカウトを受けました。その会社に入れば給料は大幅に上がるとの説明を受けたり、東京都庁よりも高いオフィスビルを案内されたりしました。私は、本来田舎が好きだったのですが「この外資系企業で頑張って働きお金を貯め、セカンドライフで田舎暮らしをすればいい」と考え、転職を決めました。

 広告代理店を辞める直前、有休を消化して沖縄本島一周の旅に出かけました。その最中、北部にある八重岳という山で道に迷っていたところ、偶然あるご夫妻と出会いました。ご主人は医師でしたが、仕事で得たお金を自分のために使うのではなく、障がい者や心に病を持った人と一緒に暮らしながら山を開墾して農業をしたり、全粒粉を使用した健康に良いパンを製造・販売しておられました。このご夫妻の生き方に、とても感銘を受けたのです。また「自分たちは齢をとってきたからパン屋を任せられる人材を探している」とも話しておられました。

 沖縄の旅を終え東京に戻り、外資系企業の入社式の日。先輩社員と話す中で、自分との価値観の違いを強く感じ「自分がしたいのはこの人たちのような生き方ではない」と言う心境になっていました。その日の休憩時間、偶然沖縄のパン屋の奥さんから電話があり、色々とお話をしました。すると、得たお金を自分のためではなく、他人のために使っておられたあのご夫妻のことが一層魅力的に感じ、沖縄のパン屋で働きたいという思いが沸いてきました。翌日から休日だったのでよく考え、交際中だった祐子さんにも相談し、結果として外資系企業を辞め沖縄に行くことを決意しました。「お金のため」「自分だけのため」に生きるのではなく、他人のことを想いながら、ものづくりの世界で生きていく道を選んだのです。

 

 

出雲に移住した経緯は? 

 裕輔さん:沖縄の山の頂上付近での、半農半パン職人の暮らしをしばらく続けました。ただ、そのパン屋は経営が苦しくなっており、自分がもっとパン職人としての技能を高めなければとの思いが強くなりました。そこで、一旦東京に戻り有名な天然酵母のパン屋で修業することにしました。東京と長野県の店舗で4年間修業し、結婚も経て沖縄に戻りました。

 そこから、パン屋の再起をかけた経営に夫婦で携わりました。沖縄初の自家製小麦の天然酵母パンや全粒粉植物性クッキーの新商品開発などの努力が実を結び、次第に人気・経営が安定してきました。そんな矢先、父がすい臓がんで亡くなりました。それを機に病の根本・健康・食・命とはなんだろうと、自問自答を繰り返す日々が続きました。その結果、真に人を健康と幸せに導くには間接的な加工業では限界があると感じ、11年続けたパン職人を辞め、農家になることを決意したのです。

 その後、全国を周り移住先を探す旅に出て、その最中に出雲市の出西窯という窯元を訪ねました。そこで代表者の方とお話しする機会をいただき、農業がしたい旨も伝えました。すると、農業を取り巻く厳しい現状も含め、様々な情報をいただく中で、「出西生姜」の存在も教わりました。出西地区でしか育たないという貴重な作物にもかかわらず、数少ない生産者は高齢化が進み、後継者がいないとのことでした。400年以上の歴史を持つ出西生姜の、伝統の種を守り継いでいくことに使命感を感じ、結果として出雲市斐川町出西地区への移住を決めました。

 

 

今のお仕事について教えてください。

裕輔さん:今は、(公財)ふるさと島根定住財団の産業体験という助成金を受け、ベテラン農家さんのもとで出西生姜栽培の研修をしています。同時に、自分たちで栽培するための畑も借りて、大豆との混植かつ無農薬自然栽培に取り組んでいます。また、農閑期である冬場は酒蔵に働きに出ています。将来的には農家民泊もしたいと考えています。

 

祐子さん:私は、夫と共に農業をしつつ「出西織多々納工房」で綿花の栽培や藍染め手織りの仕事を手伝っています。

 

裕輔さん:自然栽培を実践し、持続可能な生活を実現していきたいです。

 

祐子さん:出西生姜を継ぎたいという若者がもっと増えればいいと思います。よそから来た私達にはその魅力を伝える役割もあると思いますし、いい種を残せるよう日頃から努力していきたいです。

 

 

出雲の魅力だと思うことを教えてください。

裕輔さん:「日本が残っている場所」だと思います。都会から遠く不便だったからこそ、神社や田畑の風景、おいしい水、神楽などの伝統文化といった大切なものがちゃんと残っています。そして、自然物に対して神様が宿る考え方、土着信仰のようなものの面影があります。例えば、神社に磐座(いわくら)が多いことがその一例です。

神話の有名な神様がうまれた神社などが身近にあるのも凄いですね。住んでいる皆さんに神話が浸透しているので、何となくそれが信じられているところも出雲ならではかもしれません。

 斐伊川の流れも好きです。

 

 

出雲に移住を考えている人へのメッセージをお願いします。

裕輔さん:まず、移住先の地域が好きかどうかが一番大事だと思います。施設の多さやもらえる補助金など「条件」を頭で考え選ぶのではなく、直感的にその場所が好きと思えることが大事だと考えます。移住した後、問題もあれば、思っていたことと違うと感じるときもあるでしょう。条件に合うところをいくつか比較検討して選んだ場合、嫌なことがあった時に「ここじゃなくてあっちの方が良かったかも」と思ってしまうのではないでしょうか。一方で、その地域が「好き」と思えば、嫌なことがあっても頑張れるし、その地域の一部になろうと努力できると思うのです。

 また、移住した先にも今住んでいるところにも何かしら問題はあると思います。移住したから全てが思い通りに行くかといえばそうではありません。しかし、移住した先では新しい自分や新しい可能性を見つけることができます。色々な面で自己成長できるのです。自分の成長のために移住していると思えば、問題が起こっても受け止めることができます。

 

祐子さん:ご主人が移住したいと思えば、応援してあげてほしいです。移住後もしっかり応援してあげることで、男性は人間としてより大きくなると思います。

 

 

 

写真・取材・文 NPO法人ふるさとつなぎ 代表 清水隆矢【市よりの委託先】

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