UIターン者の声
愛知県からのIターン
山田 真里さん
国内外でさまざまな働きかたを経験した山田真里さん。環境と心境の変化によって出雲の地を魅力に感じてIターンし、現在はホテルスタッフとして働いています。今回はIターンに至る経緯や思い、そして今後取り組みたいことなどのお話を伺いました。出雲市駅近くの綺麗でモダンなビジネスホテル。取材に向かった筆者が中へ入ると、マスクの上からでも分かる笑顔の山田さんが丁寧に出迎えてくださいました。取材はカフェスペースをお借りしており、「こちらです」と優しく案内いただく姿は頼もしい雰囲気があります。
2020年10月のIターンと同時にホテルへ入社した山田さんは現在、フロント業務や事務処理、客室に関するさまざまな対応をおこなっているとのこと。
今回の取材ではそんな山田さんのIターンの経緯、そして現在の暮らしや気持ちの変化などを伺いました。
「元は愛知県で生まれ育って、市内にある簿記の専門学校を卒業しました。そのあとは事務職に就いて経理の仕事に携わっていました。海外に行ったこともあります。27歳くらいの頃かな?」
それは就労のためでしょうか? それとも移住のため?
「暮らしたいと思っていたのですが…(笑)最初ニューヨークに3ヶ月遊びに行ったときに、初めての海外生活にすごく刺激を受けました。それで日本に戻ったあとに海外で暮らすにはどうしたらいいのか調べて、ワーキングホリデー(※海外で一定期間生活ができるビザ制度)でカナダに行ったんです。
そこで勉強しながらバイトをしていましたが、年齢制限もあるし、海外で外国人が暮らすためには特殊なスキルが無いと厳しくて。特にそういうスキルが無いから私には無理なのかなと思って、帰国したあと日本の企業に再就職したんです。でも諦めきれなくてモヤモヤしながら働いていました。」
憧れが続いていたのですね。
その後は再挑戦されたのでしょうか?
「働いていた時に日本語教師の養成講座を見つけて、これならいけるかも!と思って講座に通って修了しました。紆余曲折ありましたが10ヶ月間、日本語教師の補佐としてマレーシアに行けることになったんです。」
念願の海外の暮らしはいかがでしたか?
「楽しいこともありましたけど、すごく大変でした(笑)
現地の中高一貫校が赴任先になり生徒達にとっては初めて見る日本人という子も多く、良くも悪くも先生や生徒からの熱い視線を常に感じていて(笑)日本人としてのイメージを壊さないようにとプレッシャーを感じることも多かったです。食べ物も辛いか甘いかのどちらかしかなくて、思ったより大変でした。」
生活の基盤として海外を選択したらこうなる、という経験をなさったのですね。
「そうですね。外国人として他所の土地で生きていく大変さとか、日本人として見られることのしんどさを、身をもって体感しました。それで海外で暮らすのは現実的じゃないなと思って日本に戻る決意をしました。」
海外の暮らしを経験したあと、考え方に変化はありましたか?
「海外に対しては友達や当時の生徒と今もSNSで繋がっているので、お互い近況が見られるくらいの距離感でいいのかな、と思うようになりました。
あとは海外を経験したからこそ、日本に戻ってきて違う選択肢を考えられるようになったと思います。もしもあのとき行動しなかったら、今も名古屋で『海外で暮らしたいのに…』とモヤモヤしたまま働いていたかもしれません。」
選択して行動を起こし、そこで得た経験が山田さんを次のステップに導いているのですね。
日本に戻ったあとはどうなさったのでしょうか?
「実家で暮らしていましたが、日本語教師を諦めてまた事務職で働き始めました。ですけど、あまり良い会社ではなく辞めることになり……。どうしようかと悩んでいたときに同じ会社で働いていた人が『農家で働いたことあるよ』と教えてくれたんです。
それまで農業のことや田舎暮らしは『大変そうだな』くらいの印象しかなかったのですが、色々な話を聞くうちにすごく興味が湧いてきたんです。それで田舎暮らしのことも積極的に調べるようになりました。」
最初から出雲市を移住先にお考えだったのですか?
「いえ、最初は全国いろいろな土地の地域おこし協力隊を考えて応募しました。でも面接で『どうしてこの土地を選んだのか』という質問があると、当たり障りのないことしか言えなかったんです。それで不採用が続いてしまって(笑)」
その土地に対する特別な思い入れがないと難しそうですね。
「そうなんです。だから一旦落ち着いて、自分がどんなところに住みたいか改めて考えてみました。それで出した理想が、『長い歴史のある街』『趣深い川辺の道があるような街』『ある程度の利便性がある街』という感じでした。
これだけだったら日本中ありそうですけど、雪国は自分にはハードルが高いな、とか思い絞っていったなかで残った内の一つが島根県だったんです。それも最初は津和野町(島根県の南西端の町)が良いな、綺麗だな、と。」
津和野町は小京都の代表格といわれる山間の町ですね。
ちなみに、それまで島根県を含む中国地方には旅行などの経験は?
「それが全然なくて(笑)ぼんやりとしたイメージしかなかったんです。でも、知らないからこそ興味が出てきて、思いきって島根定住財団に仕事探しの登録をしました。
そうしたら定住財団さんがメールをくださって、状況の相談に乗ってもらったり、津和野だけでなく島根県内で移住の支援をしている地域のパンフレットを送って頂いたり、とても良くしてもらいました。支援がある地域のなかで改めて気になる地域をピックアップしたら、その地域の求人票を送ってもらって、そこから気になる企業を選んで……という流れでどんどんやりとりが進んでいきました。」
移住に向かって話が現実的になっていきますね。
「でも、その時点ではあんまり話が進んでいる実感がなくて。定住財団の方が、私が求人票を見て興味をもった約10社を3〜4日かけて回る『企業訪問ツアー』を考えて同行・案内をして頂いたのですが、それに行って戻ってきた後でようやく自分の中で『一歩踏み出した』という実感が湧いてきました。」
初の島根、そして実際に企業訪問をしたことが手応えに繋がったのですね。
ホテルへ就職をする決め手は何だったのでしょうか?
「出雲市のホテルか、雲南市の会社に就職するか迷いましたけど、出雲の街の規模感のほうが自分に合っているなと思ったのが決め手です。コンビニやスーパー、病院など必要なものが近くに固まっているので現実的に暮らしやすいなと思いました。
あとはIターンの独身女性も助成が受けられるというのも決め手の一つになりましたね。家族のUIターンを支援する地域は多くても、独身女性を支援してくれるところはまだ多くないと思います。あったとしても職業の縛りがあるとか……。」
最近は独身女性の支援も広まってきているものの、出雲市は先進的な試みとして始めたとのことです。(同席した市職員の方からの情報)
無事に就職先が決まったあと、住む家はどうなさったのでしょうか?
「書類とか用があって出雲に来たときに、不動産屋さんを予約して何件か回りました。出雲は大学とか専門学校があるからか、思ったより単身向けの物件も多かったので有り難かったですね。」
地域によっては平家しかない事もありますね。
出雲に引っ越してからの生活は、以前と比べていかがでしたか?
「水が美味しいとか空気が綺麗とか、夜が静かだとか……自然に対する感覚の違いをしっかりと感じました。あとは休日の過ごし方が変わりました。実家の名古屋にいたときは、家でぼーっとしたり友達と繁華街に出てランチして買い物したりという感じだったのですが、出雲に来てからはゆったり一人で散歩に出るという感じです。おかげで出費が減りました(笑)」
散歩中のお写真、どれも素敵です。(写真掲載)
生活だけでなくお金の使い方にも変化が?
「名古屋に住んでいたときは仕事帰りに地下街や百貨店の横を通るので色々誘惑が多くて……。出雲に来てからは健全にまっすぐ帰れるようになりました。
でもその代わり食べ物に使うぶんは増えたかもしれません。当たり前ですが、スーパーに行くと見慣れない中国地方の特産品や加工品があるのでつい買っちゃいます。」
今までの生活圏ではない食品、わくわくしますよね。
逆に、大変だった点はありましたか?
「出雲だからという訳ではないですが、引っ越してすぐ体調を崩したことがあったんです。ちょうどコロナが感染拡大し始めた頃だったので大変でした。近くの病院に電話したら、かかりつけじゃないと診られないと言われてしまって……なんとかかかりつけ病院が無い人用の病院に行くことはできましたが、あの時はかなり不安になりましたね。」
コロナがなければ普通に街の病院で良かったはずですし、想定外の大変さがあったのですね。傷病があると心細くなると思いますが、実家に帰りたいという思いはありましたか?
「それは特になかったです。仲が悪い訳ではないのですが、それまで実家にいたときより出雲に来てからのほうが、家族とちょうどいい距離感を保てている気がします。
実家に住んでいた頃は喧嘩したり、住まわせてもらっている甘えや負い目があったりして自分の中でもモヤモヤしていたのですが、今は経済的にも精神的にも自立できているので親離れができたと実感しています。」
Iターンしたことで家族との関係性も良い方向へ変わったのは良かったです。
引っ越ししてもうすぐ2年(令和4年7月現在)で生活も落ち着いた頃と思いますが、将来的にやってみたい事などはありますか?
「最初は古民家に住んで畑を耕したり、養蜂したり、ということに憧れがありましたが、最近は日々の生活に追われて気持ちが薄れつつあります(笑)
でも何か面白いことはやってみたいと思っています。例えば古民家を改修して中をライブハウスにしたり、展示ギャラリーにしたり……外と中のギャップがある建物があると面白いかなあと。自分がやれるかどうかは分かりませんが、今の憧れはそっちにありますね。」
面白いですね!出雲はライブハウスが少ないですし、ぜひ盛り上げて頂きたいです。古民家を含め歴史ある街並みは出雲の魅力かと思いますが、山田さんが実際に暮らして感じた出雲の魅力とは他にどんな点がありますか?
「『ほどよい感じ』です。自然ばかりではなく、建物ばかりでもなく。人の数も車の量も程よくて、必要な施設やお店は近くに固まっているので楽ですね。都市部のようなテンションが上がる楽しさはありませんが、温泉に浸かっているような居心地のよさや暮らしやすさが魅力だと思います。」
最後に、UIターンを迷っている方へメッセージをお願いします。
「知らない街に住むということは不安ですが、自分が良いと思ったことはやってみないと時間が過ぎていくだけだと思います。もしも移住して『自分に合っていなかった』と分かったらそれはそれでひとつの成果かな、と。
悩んでモヤモヤしつづけるよりも調べて動いてみたほうが、自分の気持ち的にもスッキリすると思います。」
就職後、転職や海外生活を経て出雲市へIターンを決心した山田さん。その行動力はひとえに「動かないまま後悔したくない」という思いがあるからこそだと思います。移住生活を楽しみながら興味あることに突き進もうとする姿勢がとても印象に残るインタビューでした。
ちなみに取材の翌日、筆者がランチを済ませて店を出ようとしたら偶然入店する山田さんにお会いし、タイミングの良さに盛り上がりました。思いがけない再会ができるのも「ちょうどいい街の規模感」だからこそ。山田さんが仰った出雲の魅力を実感した出来事でした。
山田さん、貴重なお時間をいただき有難うございました。
写真・取材・文 宇佐美 桃子