UIターン者の声

埼玉県からのIターン

村岡 大吾郎さん

山の恵みゆたかで神事にも篤い佐田地区。まるで昔から住んでいたような佇まいで集落に溶け込み、地域の農産業に携わり、祭りの写真を撮り、固定種の大豆を守る活動をされている村岡大吾郎さん。実は4年前、地域おこし協力隊として佐田町に着任された埼玉県出身のIターン者です。出雲に移住された経緯と、移住後のお話を伺いました。

山の恵みゆたかで神事にも篤い佐田地区。まるで昔から住んでいたような佇まいで集落に溶け込み、地域の農産業に携わり、祭りの写真を撮り、固定種の大豆を守る活動をされている村岡大吾郎さん。実は4年前、地域おこし協力隊として佐田町に着任された埼玉県出身のIターン者です。出雲に移住された経緯と、移住後のお話を伺いました。

 

きっかけは「出雲の神在祭をぜんぶ見てみたい」

大学生のとき、伝統芸能を研究するゼミで撮影する活動をしていたことから ご神事に興味があって、出雲の神在祭を初めから終わりまで全部見てみたいと思い立ち、5年前の2015年、神在祭の時期に初めて出雲に来ました。そして2週間滞在して出雲界隈をあちこち ひとりで巡ったんです。その時に「出雲いいな」と思いまして。そのとき夜行バスの隣の席が出雲の方で、「また出雲にいらっしゃい」と仰ってくださって。小さなエピソードですが、人の縁というものがあるところがいいなと思いました。

それまで移住先を探していたわけでもありませんでした。その旅が機会となって、移住フェアに行き、地域おこし協力隊の制度は知っていたので、出雲の協力隊の募集に応募しました。その時の募集地域は海か山かの2択でした。山がよかったので佐田町を希望しました。

 

移住先を探していらっしゃったわけではなかったんですね。

はい、全く。

(町内の市職員さん)—出雲の何かが呼んだんだと思うよ。案外氣づいていないだけかも知れないよ。

そうかも知れません。(笑)

 

では実際に移住されてから移住前と出雲の印象は変わりましたか?

そうですね、お隣さんがとても面倒見のいい方で、帰ったら玄関先に晩ご飯が置いてあったりするお母さんのような方で(笑)。その方のおかげもあって、わりと当初から地域に溶け込むことが出来ました。そもそも「他所から来た」ということを僕自身が意識をしていなかったですね。

協力隊着任当初に市の担当者の方が町内のキーマンの方々のところへ一緒に挨拶まわりをして下さった事も大きな助けになりました。その事もあって以前から居るような雰囲気で地域の方々に受けとめていただいた氣がします。おかげさまで当初から何ら移住にまつわるストレスを感じることはありませんでした。

 

子どもの頃、転勤族の家庭に育ったと伺いましたが、すぐ地域に溶け込まれたのは、そのご経験ゆえでしょうか?

そうかも知れませんね。あたらしいところに行って畏(かしこ)まるということはあんまりなかったです。あとは学生時代に各地の地域に入って伝統芸能を記録する事をしていたのでその経験も活かされていると思います。

 

今やっていることは すべて出雲で初めて出会ったもの。

移住前はどんなお仕事をされていたんですか?

7年ほどカメラマンの仕事をしていました。広告、建物、情報誌やブライダル等、の撮影をしていました。そのあと、キムチの製造業に転職しました。

 

カメラマンからキムチの製造業へ転職されたんですね。当時から食や農にご興味があったのですか?

農業はなんとなく興味があっただけで、基本的に今やっていることはすべて出雲に来て初めて出会ったものばかりです。これやりたい、という何かがあったわけでは全くないです。

カメラマンの仕事は7年ほどしていましたが、仕事として自分には向かないと思い、地元の会社に転職していました。

 

移住されてから須佐神社でのご神事や地域行事を丹念に記録撮影されていらっしゃいますが、村岡さんのお写真を拝見して、その場に溶け込むような、撮影者の存在を感じさせないお写真だなと感じました。かつてのお仕事現場はそういう村岡さんのあり方とは真逆のお仕事だったんですね。

 

アグリビジネスの後継者候補として挑む、“自然のなか”の仕事

では、移住されてからの今のお仕事のお話を伺ってもよろしいですか。

2016年の10月から佐田町に協力隊として農業法人の株式会社、「未来サポートさだ」に着任しました。集落営農自体が人手が少なくなり、存続が危うくなっていく状況の中、全国的にも早い段階で作られた連携組織なので、県内外から視察によく来られます。

仕事内容としては商品開発、販路開拓、産直市の魅力化、アグリツーリズム、加工場の支援、中山間地域の農業の活性化です。「アグリビジネスの後継者候補として挑む」ということに惹かれました。「さだみそ」や筍の水煮などの農産加工や、大豆栽培等に関わる農作業を一から学びました。また会社のロゴマーク製作や既存の加工食品のパッケージデザインの刷新に取り組んだり、色々な種類の大豆を試験栽培して味噌や大豆ペーストを試作したり、大豆の良さを活かした商品の開発をしたり、直売所のレイアウトの見直しをしたり、などですね。より魅力的な直売所になるように商品を見やすくしたり、店内に佐田町の風景の写真を展示したりして工夫しました。また地元のお年寄りの田んぼの草刈りを請け負う仕事もあります。

昨年秋で協力隊の任期は満了して立場は変わりましたが、就職先は同じ職場ですので、より一層、後を継ぐ世代として頑張らなくては、という想いで仕事に従事しています。

 

お仕事のなかで移住前とは際立った変化というか、新たに感じられた印象的なことなどあれば教えて下さい。

そうですね。埼玉に居た頃とは生活のリズムが全く変わりました。着任したばかりの当初は、自然が相手の農業という仕事に戸惑いを感じていた部分もありましたが、”自然に委ねたなかで取り組む”、と腹が据わってから、仕事に取り組む氣持ちがとても楽になりました。

 

継がれてきた種を守る

固定種の大豆を守る活動を始められたきっかけもお仕事のなかから?

協力隊の任期中に佐田町の固定種の大豆に出会いました。その種子を代々継いで来られた農家の方にお話しを聞かせて頂き、少なくとも百数十年は佐田の地で栽培されてきたものということが分かりとても感銘を受けました。このことがきっかけで在来種の種、種の多様性に興味を持ち、食べ物の源である「たね」について勉強するようになり、しばらくして「大切な種子を守る会」と銘打ち、個人的に種子にまつわる活動を始めるようになりました。

ご縁があって種の勉強会開催のお話しを頂き、定期的に行っています。内容は「種子法廃止の問題」や「自由貿易協定の問題」「遺伝子組み換えの食べ物について」など。興味のない方が事を知って自分には何が出来るかを考えるきっかけになればという想いで活動をしています。

 

「積み重なっていく」実感。写真集「須佐の『郷』」の発行

元カメラマンさんということで、佐田町の写真撮影でもご活躍ですね。

移住してから須佐神社での神事や佐田町の昔からの風習や行事をこつこつ記録撮影しています。須佐神社にまつわる神事やお祭りの情景を記録した写真展を出雲市と雲南市の計7カ所で開催させて頂いて、昨年9月には写真集「須佐の『郷』」を刊行させていただきました。写真集は佐田町内のコミセンと市内の全図書館等、各施設に寄贈させて頂きました。

(町内の市職員さん)—これを見ると、出雲にもともと住んでいる人とは全然違う視点で撮っていることがよくわかる。自分たちが撮るんだったら、つい祭り全体を撮ろうとしがちだけれど、「こんな後ろ姿から撮る事はないな」と関心したりね。

 

地域の空気感というか、おひとりおひとりを大切に撮られていることで、まるで神さまの目線で撮られているようにもお見受けします。出雲ならではの情景というか、地域の魅力がかたちになったような写真集ですね。こちらの写真集に込められた想いをお聞かせください。

写真集は、今現在の佐田の情景を残すことで世代間を繋ぐ一助になればと思い、制作しました。 都会で生活していた以前は、毎日が「積み重なっていく」という感覚をもつことは希薄だったように思います。自然を賜(たまわ)る農業の仕事に携わることになった事も一因としてありますが、それにもまして里山の共同社会の中で関係を築かせて頂けたことがそういう「積み重ね」を実感する大きな要因になっています。代々守られてきた田畑や、守りきれず山へと還っていった景色、お社やお祭り、神楽、継がれていく種、語り継がれる昔話、先人の知恵。そういうものがここではごく自然な日常として営まれていることに、とても感銘を受けました。

同時にそれらを「積み重ねていくこと」の難しさ、大変さも受けとめざるを得ませんでした。今あるものが黙っていたら消えて行ってしまうことが目に見えてわかる環境だからこそ、大切にしたいと自然に思うようになりました。日々、紡がれる時間が“未来への糧”だと感じています。

「来し方を伝える人」と「行く末を担う人」、その双方が重なり合うことが出来る「今」という「継ぎ目」ほど貴重なものはないと思うんです。そして出雲という場所は「行く末を担う」、“引き継ぐひと”になれる場所だと思います。

 

地道に続けたい「大切な種子をまもる会」

—こうして写真集として手に取れる具体的なかたちにもなりましたね。

最後に これからさらに力をいれたい活動などありましたら教えてください。

種子の勉強会はこれからも地道に続けたいと思っています。勉強会のほかにも広く皆さんに知って頂くために種子にまつわる映画の上映会を随時企画しています。島根では初上映のカナダのドキュメンタリー映画作品を斐川環境学習センターにて3月8日に上映会開催予定です。これを機会にひとりでも多くの方に種子に関心を持っていただきたいと思っています。

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とつとつとした語り口で実直に、それでいて気負いなく楽しげにお話してくださった村岡さんは、どう見ても昔からこちらに住んでいるひとのような佇まいでした。

この日のインタビュー会場は御厚意で貸し切りで提供して下さった一縁荘さん。温かい囲炉裏の火、お茶請けに用意された心尽くしの手作りのおつけものや干し芋も一縁荘さんの御厚意によるもの。いかにも出雲らしいおもてなしに、村岡さんがいかに地域の方々に愛されているかを垣間見るようでした。多技に渡るご活動は、そのお人柄ゆえの地域の方々との温かい関わりから生まれるものとお見受けしました。これからさらなるご活躍を楽しみにしています。村岡さん、貴重な時間を有り難うございました。

 

村岡さん主催「大切な種子を守る会」のイベント詳細はこちらをご覧ください。

令和2年3月8日(日)ドキュメンタリー映画「たねと私の旅」上映会 https://www.facebook.com/events/620223758546067/

 

 

 

 写真・取材・文 たまちハウス 三品 知子

 たまちハウスFacebookページ

 https://www.facebook.com/tamachihouse/

 

 村岡さん写真提供(2枚目~6枚目)