UIターン者の声
東京都からIターン
畑田 美和さん
東京の保育園で栄養士として働いていた畑田さんは、2013年に出雲市に移住。いくつかのお仕事を経験されたのち、現在は市内の産婦人科に勤務。 移住後に知り合った男性とご結婚も決まっているなど、公私ともに充実した日々を送る。ひとりぼっちだと感じた事は、一度もありません。
東京の保育園で栄養士として働いていた畑田さんは、2013年に出雲市に移住。いくつかのお仕事を経験されたのち、現在は市内の産婦人科に勤務。
移住後に知り合った男性とご結婚も決まっているなど、公私ともに充実した日々を送る。
出雲に移住された経緯は?
私自身は茨城県で育ったのですが、実は両親ともに実家が山陰の田舎にありました。母の実家は出雲市美談町、父の実家は鳥取県日南町です。小さいころから、帰省の際には祖父や祖母の暮らしぶりを見ていたのですが、それは自然と共生した無駄のない生き方でとても勉強になることが多かったです。
社会に出てからは、東京で病院の中にある保育園に栄養士として勤めていました。仕事を通じ子どもとふれあう中で「食の安心・安全」について根本から考えることが増えていきました。もともと、その保育園は食材に気を使っていたこともあり、醤油など調味料も原材料がなるべく国産のものでしたし野菜もできる限り無農薬のものを使っていました。しかし、平成24年に東日本大震災が起こってからは、必ずしも国産の食材が一番と考えられなくなってしまいました。悩みながらも、保育園でプランターを使い野菜を育てるなど、子どもたちを守ってあげたいなという一心で自分にできることをしていました。しかし、そんな中色々な経緯があり保育園の廃園が決まってしまったのです。こうした日々を送る中で精神的に少し疲れてしまっていた頃、思い出すのは山陰の田舎での祖父母の暮らしぶりでした。少しでも祖父母のような暮らしに近づきたいと思い、出雲への移住を真剣に考え始めました。
親は反対していたのですが、押し切って移住を決めました。美談町の祖父母の家に住むことも考えましたが、田舎ならではの人間関係の中に最初から入っていくのも大変だろうと考え、市街地のアパートに引っ越すことになりました。
移住後はどのような日々を過ごされていますか?
仕事は、老人ホームや出雲大社近くの写真館での勤務も経て、今は市内の産婦人科の厨房で働いています。結局栄養士の仕事に落ち着きました。
実は、写真館勤務時代に知り合った地元の男性と縁があり、結婚することも決まっています。今は結婚準備で忙しい日々です。
出雲の市街地に暮らしてみてのご感想は?
市街地に住んでいると、不便に感じることはありませんね。暮らしていくうえで、東京と大きな違いはありません。最初の頃は、その違いの無さにもやもやすることもあり、奥出雲などさらに田舎へ移住することを模索した時期もありました。
不自由しないのに自然がたくさんあるのは素晴らしいですね。山は広がっているし、少し車を走らせれば絶景を見ることもできます。日ごろ、山を眺めているだけで四季を感じることができます。
都会では、自然が少ない分ハロウィンのイベントなど造られた季節感で必死に飾っている部分はどうしても出てきますし、それらは競争原理の中で動いています。出雲では、ちゃんと自然の中に四季が表れていて、移住直後はそれに圧倒されていました。
ずっと都会にいると、新しいことさえも新しく感じなくなってしまうように思います。どんどん新しいことは起こるのですが「今年はこんな感じか」という風に思えてきて、妙な退屈さがあります。目に映るものはたくさんあるのに、不思議と退屈になります。出雲にいると飽きません。生き物や草木など、同じものは何一つとしてなく、変な空虚感を感じることもありません。
最初の頃は特に、休日に滝を見に行ったり、農作業のお手伝いに行ったりもしていました。驚いたことに、自然を多く見ていたせいか視力も上がりました。1.0見えるように作った眼鏡で2.0見えるほどになりましたよ。
移住者と地元の人が連携して行うお祭りやイベントなどもあり、楽しいです。私は、東京に住んでいる時は思い切り満喫してお世話になっていました。でも、今は出雲での生活に慣れ大きな魅力を感じています。
「食」という観点から見た出雲はいかがですか?
安心できる野菜を手に入れやすい環境です。店で買うこともできますし、職場の人などから貰うことも多いです。旬のものが手に入りやすいので、季節感もわかるようになりました。
東京の保育園では、バケツで米を育てて子どもたちに見せていました。こちらでは、歩いていれば簡単に田んぼを見ることができますので、大違いです。
地方への移住を考える人へのメッセージをお願いします。
島根は、公的機関の移住支援が進んでいるので頼ってみるのもいいかもしれません。ただ、私のように公的機関を頼らずに来ても、自分から心を開いていけば助けてくれる人はどこにでもいると思います。
私も、何か困ったことがあっても誰か助けてくれる人がいました。ひとりぼっちだと感じた事はありません。
どんな場所に住んでも、最初は紆余曲折あると思います。ただ、出雲は「模索」するにはいい場所だとも思います。自分がやりたいことが決まっていなくても、模索しながら生きていくことができるような温かさがあります。
それと、慣れきった土地を離れて、新しい土地に移り住むには色々な意味でエネルギーが必要だと思います。しかし、それを乗り越え移住した後は素敵な出会いに恵まれた日々が待っていました。どこにいても、人との出会いが私の財産になっています。
写真・取材・文 NPO法人ふるさとつなぎ 代表 清水隆矢【市よりの委託先】