UIターン者の声

高知県からUターン

石田 亮平さん

出雲市塩冶町で生まれ育ち、東京の大学に進学。卒業後、高知県四万十町で地域に根付いた事業を展開する企業に 就職。インターネット通販事業の立ち上げ・運営の業務などを経験。5年間勤めた後、出雲市にUターン。現在は、フリーランスの立場からショッピングセンターの振興や、インターネット通販のアドバイザーなどの仕事に携わる。

思い出が町じゅうに散りばめられていて、

それがたまらなく愛おしいんです。

 

 

出雲市塩冶町で生まれ育ち、東京の大学に進学。卒業後、高知県四万十町で地域に根付いた事業を展開する企業に就職。

インターネット通販事業の立ち上げ・運営の業務などを経験。5年間勤めた後、出雲市にUターン。現在は、フリーランスの立場からショッピングセンターの振興や、インターネット通販のアドバイザーなどの仕事に携わる。

 

 

東京ではどんな生活をされていましたか?

 浪人生活を経て、東京にある一橋大学の商学部に入りました。浪人時代に自分を見つめなおす時間が多くあり、自分のアイデンティティは何だろうと考えたのですが、それはやはり「島根」だなと思いました。将来、島根が良くなることに貢献できる仕事がしたいと思い、大学では「地域産業」について学びました。僕のいたゼミは、どんどんフィールドワークとして現場に出ていく方針でした。全地域での仕事づくりの現場を全国各地訪ねました。島根にも月に1回ぐらいは来ていましたね。なので、学生時代はアルバイトでお金を貯めて、そのお金をフィールドワークのための旅費にするという繰り返しでした。

 他にも、2年生の時には新入生向けの大学祭の実行委員長もしました。100人位の組織のトップをやるという、貴重な経験ができました。

 

 

新卒で高知県四万十町に行かれた経緯は?

 もともとは、大学院に進学しようと思っていたんですよ。それに向けて勉強や準備もしていました。しかし、大学院の願書受付の期日を勘違いしていて、受験することができなくなってしまったんです。

 そこから進路を色々と検討しましたが、あるときに「そうだ、中国に行こう!」という考えが浮かびました。実は、大学4年生の時中国の企業でインターンシップをしていたんです。そこで、その企業に打診してみたのですが、社員の募集はしていないとのことでした。

 「中国もだめか。じゃあ、島根に帰るか」と考え、ゼミのフィールドワークでお世話になっていた島根県職員の方を訪ねました。当初、行政関係の仕事を紹介してもらいましたがあまりピンとこず「他にありませんか?」と聞いたところ「若いんだから、外で修業してこいよ」と言われ、その方から紹介できるという企業を10社ほど教えてもらいました。すると、その全て僕の知り合いのいる企業だったんです。

 そのとき思ったのが、本来は道を切り開こうと思えばいくらでも切り拓けたのに、そうせずに県職員の人を頼っている自分が体たらくだなということでした。それからは、自分で知り合いづてに情報を集めるようになりました。

 そんなある日、ゼミの先生が「高知はおもしろいぞ」と言っていたのを思い出しました。高知県は島根と同じような課題を抱えながら島根とは違う別のアプローチをしている企業や自治体がたくさんある。是非、そんな高知で修業したいと思いました。

 高知の知り合いに相談したところ、紹介してもらったのが「㈱四万十ドラマ」という会社でした。四万十町の山奥にありながら地域に根差したおもしろい事業を展開していることで有名な会社でした。1ヶ月のインターンシップを経て、無事雇ってもらえることになりました。

 

 

高知県四万十町ではどんな仕事や暮らしをしていましたか?

 ㈱四万十ドラマは、道の駅の運営・商社(地域の産品を都会に売る事業)・商品開発の3つを中心に事業を行っています。

 僕は、入社してすぐにインターネット通販事業の担当になり、立ち上げから運営まで携わりました。当時、通販の知識はおろか仕事の進め方すらわからない状況でした。毎日、怒られていましたね。

 でも、少しずつ信頼してもらえて3年目ぐらいからは自分で好きにやらせてもらえるようになり、次第に売り上げも伸びてきました。

 生活面は、四万十町の中でも田舎の地域だったので周りにコンビニも無く、出雲の市街地で育った僕には少し不便に感じてしまいました。たまに、出雲の同級生が「出雲が田舎でつらい」と言うのですが「出雲は都会じゃないか!何を言っているんだ」と思います。出雲の市街地ぐらいの規模感が、僕には一番合っていますね。

 

 

出雲にUターンされた経緯と、今のお仕事は?

 もともと出雲に帰りたいという想いが強かったのですが、帰るタイミングは自分の食い扶持は自分でつくれるスキルを身につけてからだと決めていました。当初は2年ぐらいでと思っていたのですが現実はそう甘くなく、5年かかりました。2016年春頃「そろそろ自分でやれるな」という手ごたえを持つようになり、Uターンを決めました。  

 仕事を模索していたところ、まず知人の紹介で「ショッピングセンターVIVA」の事業に参画しないか、という話をいただきました。純粋に、楽しそうだと思いましたし、僕自身インターネット通販以外のスキルも身につけたいという想いがあり、関わらせてもらうことになりました。ショッピングセンターVIVAはスーパーの他、飲食店や産直市、塾、和菓子屋など色々なテナントが入っている施設です。

 この施設の運営会社と業務委託契約を結び、僕は仕事をしています。僕の役割は、テナント対応やテナントを増やすための取り組み、施設を活用したイベントの企画運営などです。経営状態をよくするにはテナントを増やすのが近道ですが、まだまだこれからです。

 その他、出雲市以外でもインターネット通販のアドバイザーとして仕事をさせてもらっています。傍からは順調そうに思われることもありますが、学生時代に理想としていたイメージからすれば、今の僕はまだまだです。今後は、今取り組んでいるショッピングセンターの事業で実績をつくり、島根県内の他の施設にも水平展開していけるようになりたいです。

 

 

出雲の魅力はどんなところだと思いますか?

 出雲の魅力って、正直なところあまり語れないんですよね。僕は、出雲がいいところだから敢えて住んでいるわけではないし、いいところだから何とかしようとしているわけでもないんです。単に僕にとっては生れ育った場所だし「家」みたいなものです。自分の「家」の良さは語れないけど、「家」が駄目になっちゃうのは嫌だ、という感覚です。生れ育った場所は特別だし、何物にも代えがたいものがあります。まちを歩いていても、小学校時代に遊んだ場所など、思い出が町じゅうに散りばめられていて、それがたまらなく愛おしいんです。

 出雲に帰ってきたい人がいれば、あまり気負わずに帰ってくればいいんじゃないかなと思っています。僕の場合は、ただ実家に帰っているだけなので気軽でした。

 

写真・取材・文 NPO法人ふるさとつなぎ 代表 清水隆矢【市よりの委託先】

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