UIターン者の声

東京都からIターン

青木 智美さん

 静岡県生まれ。転勤の多い家庭に育ち、子どもの頃から各地を転々とする。その後、東京の大学に通い、2005年に就職を機に出雲市へ移住。仕事と並行しながらアートを通じた「人づくり」「まちづくり」に関する様々な活動を手掛けている。

 アートを通じた「人づくり」と「まちづくり」に取り組んでいきたいです。

 

 

 

 静岡県生まれ。転勤の多い家庭に育ち、子どもの頃から各地を転々とする。その後、東京の大学に通い、2005年に就職を機に出雲市へ移住。仕事と並行しながらアートを通じた「人づくり」「まちづくり」に関する様々な活動を手掛けている。

 

 

アートに興味を持ったきっかけは? 

 私はこれまで、アートの中でも「演劇」「絵」「詩」をやってきましたが、それぞれ子ども時代に出会いがありました。

 「演劇」については小さい頃「子ども劇場」という団体の会員になっていて、演劇を見たり鑑賞の仕方を教えてもらったり、お芝居ごっこをして遊んでいました。TVやお芝居の世界に憧れを持ちつつも遠い世界に感じていた中で、小学校5年生の時、文化祭で演劇の発表に出ることになりました。練習を重ねて迎えた本番、最前列で観劇する低学年の素直な感性や、お芝居の世界に目を輝かせ喜ぶ姿に触れて、初めて、創り手としてのやりがいを覚え、胸を高鳴らせました。「いつか人を喜ばせることをしたい」そんな想いを密かに持ちながら高校生になり、演劇部の友達ができたことがきっかけでようやく演劇部に入部し、想いを叶えました。その後、今に至るまで演劇を続けています。

 「絵」は小学校2年生の頃、図工の時間に描いた芋掘りの絵が入選したことがあったのですが、それは先生が随分手直しをしたものでした。自分が感じたままの絵ではいけないのかと、図工の時間が好きになれずにいました。そんな時、親に連れて行ってもらい観たピカソの作品展で衝撃を受けました。例えば、皿に子どもの落書きの様な顔の絵を描いて「芸術」としていました。「プロの芸術家って子どもみたいでおもしろいな」、「芸術ってこういうふうに、自由でいいんだ」と思いました。それからよく「落書き」をするようになり、ある高校の同級生がその落書きを見て「あなたの絵は独創的でおもしろいから、描きつづけてほしい」と誕生日プレゼントに色鉛筆のセットをくれました。「私のただの遊びの空想の世界を、こんなにおもしろがってくれる人がいるんだ」とその時に気づき驚きました。今では、大学の時に出会った水彩色鉛筆によるイラストを描いています。

 「詩」も、もともとは学校に提出する作文などを通じて、好きになりました。私にとって詩や絵は、その時の感情・感覚をありのまま書き留められる手法です。作品には描いた日時を入れています。

 

 

出雲に移住したきっかけは?

 大学時代、アーティストの卵を地域に派遣するという事業に取り組む法人で、インターンシップをしました。他にもいくつかのきっかけがあり、自分でもアートを通じたまちづくりの事業ができないかと考えるようになりました。  

 そんな中、就職活動が始まり色々と模索するうちに、出雲市に拠点を置くとある会社と出会い、直感的に魅力を感じました。幅広い事業に取り組む会社だったこともあり、会社の中でアート関連の事業を立ち上げ、実践させてもらえないかと提案し入社しました。それがきっかけで、出雲市に移住することになりました。

 その会社には8年間勤めましたが、結局当初の想いは叶いませんでした。その後は島根県立青少年の家(サン・レイク)に転職し、社会教育に関わる仕事をしています。

 

 

移住後に取り組んでこられた活動を教えてください。

 移住したての頃は、まず知り合いをつくるために飲み歩いていました(笑)。結果として人との繋がりが増え、情報もたくさん入りました。そんな中、地元の作家やアーティストの話を聞くと「プロとしてやっていくには県外に出ないといけないよね」という話をよく聞き、違和感を覚えました。そうやって人材が流出しているならもったいない。島根にはアートを体験していないがためにアートのことがわからない人が多いですし、アーティスト同士の横の繋がりも薄かったです。

 こうした課題を解決するために、各分野で活躍するアーティストと共に旧大社駅や神門通りを舞台に「がたり」というアートパフォーマンスイベントを開催し、平成19年から現在まで続けています。また、大社町鷺浦という漁村でもイベントを実施しました。

 こうした活動をする中、もっと地域の人にも企画段階から関わってもらえるような取り組みをしていきたいと強く思うようになりました。そして、ある研修の事例発表で、東京の青梅の商店街で若者によって取り組まれていた「ババコン」というイベントの存在を知りました。これは、シニア世代の人がモデルとなり、20代や30代の人が着るような服を、その世代の若者にコーディネートしてもらいお披露目するという「多世代交流のファッションショー」です。青梅で取り組んできたことを、今後全国に展開したいという内容の発表を聞き、是非出雲でもやりたいと思いました。

 その後、まずはこれまでの活動での繋がりをたどって雲南市大東町で実施させてもらいました。続いて、出雲の商店街で行うことになりました。商店街側からも、商店街を活性化していくためのアイディアやプレイヤーが欲しいという需要があったため、地域の既存のイベント内で開催させていただけることになりました。「ババコン」の本番に向けて準備を進めるうちに、20代の若者と70代のモデルの方が昔からの知り合いのように仲良くなり、まさに多世代交流が実現しています。また、地域側との繋がりもでき、ババコンを一緒に盛り上げたり、ババコン以外の地域イベントにも協力させていただいたりというような関係性が、少しずつできています。

 

 

アートを通じた活動への想いを教えてください。

 アート鑑賞や制作体験の機会提供を通じて、感性豊かな人や地域を育てるきっかけになりたいです。他者に思いを伝えたり、何かを創造したり、つくり替えたりするという事は、それ自体がアートであり、「表現する」という事です。それはまちづくりに欠かせないことです。

 アートを鑑賞したり、表現をしてみることで、自分の個性や感性を発見でき、工夫する能力や想像力、交渉力を育て、思いやりの心も同時に養います。また、他者の表現に触れることで、自分以外の、様々な人がいるということに気づきます。つまり、多様性を受け入れ認められるようになります。少し勇気のいることですが、他者との調和ばかりに気を遣うのではなく、お互いが「自由に表現」しあえる、創造的で、思いやりがあり、おもてなし力の高い人が増えれば、結果として様々な分野でまちづくりにも貢献できます。

 アート体験を通じて「人づくり」と「まちづくり」にこれからも取り組んでいきたいです。

 

 

出雲の魅力だと思うことを教えてください。 

 活動をする上で、必要な人と繋がりやすいというのは魅力ですね。何かしたいことがある時、必要な人の情報を誰かしらが持っていて、その情報を辿っていくと大概会えます。人口が少ない分、人と繋がり始めると速いです。

 それと、出雲市の中には、様々なバリエーションの地域があるので、自分の生活スタイルにあった場所を選べるという利点があります。例えば、私は市街地に住んでいるので、東京にいた時とそう変わらない暮らしが出来ていますが、少しの時間で海にも山にも行けるのは大きな魅力です。

 しっかり田舎暮らしをしたい人は農村や漁村に住むこともできますし、人それぞれに希望する生活スタイルが送れるのが出雲の良いところではないでしょうか。

 

 

 

写真・取材・文 NPO法人ふるさとつなぎ 代表 清水隆矢【市よりの委託先】

http://hurusatotunagi.jimdo.com/