UIターン者の声
富山からUIターン
川辺 雅規さん かおりさん
出雲市駅から東へ車で約10分。斐伊川を越えた山沿いに川辺さんご夫婦の「ガラス工房Izumo」があります。工房にはガラスで作られたさまざまなアート作品や器、アクセサリーが並び、ゆったりとした時が流れています。このガラス工房は作家活動の拠点として、また、ガラス作品の展示・販売、吹きガラス体験などを通じて、人とガラス、人と人との「縁」を結んでいます。 お二人はどのようにして出雲に拠点を構えることになったのでしょうか。UIターンの経緯や出雲への思い、今後の夢などについてお話を伺いました。栃木県で生まれ育ち、東京の大学でガラス工芸の道を志すようになった雅規さん。そして出雲市(旧 平田市)で生まれ育ち、短期大学の美術家コースを卒業しガラス工芸の道に進んだかおりさん。
それぞれ、ガラスの道へ進んだキッカケは何だったのでしょうか。
(雅規さん)「将来的にプロダクトデザインの道に進もうと思い大学に入学したのですが、その大学では、絵画や彫刻、陶芸、グラフィックデザイン、プロダクトデザインなど様々なコースを設けていて、ガラスもそのコースのうちの一つだったんです。ただ、入学してからしばらくはガラスには全く興味がなかったんですよね(笑)
で、2年生からコースを選択するというシステムで、1年生は全てのコースの授業を一通り受けるんですが、その1年生のガラスの授業の時に、ガラスの作品に関するレポートの課題を出されたんです。それで図書室でガラスの作品集(ルネ・ラリック)をみつけて、そのページを開けた瞬間、とても言葉では言い表せない衝撃を受けたんです。「これ、ガラスなんだ・・・。」
ガラスと言えば、窓ガラスやグラスや花器などの器としてくらいしかイメージがなかったのが、そこには女性をモチーフにした彫刻的な作品であったり、他にもそれまで見たことのない様々なガラスの作品があって・・・。とにかくガラスに対する認識を大きく覆され、それと同時にガラスに対する興味や魅力、可能性を強く感じて、その瞬間「ガラスだ!!!」と、ガラスコースを選択すること、ガラスの道を志すことを決めたんです。まさに雷にでも打たれたかのような感覚でしたね」
(かおりさん)「私は地元が出雲市(旧 平田市)で、高校までは出雲に住んでいました。幼い頃からきらきらしたものが好きでシーグラス(海岸や大きな湖の湖畔で見つかるガラス片)やガラスビンなどを集めたり、モノ作りをしたりということが好きだったんです。それで美術科がある広島の比治山短期大学へ入学して、そこで彫刻を学び、卒業後は本格的にガラスの道へ進もうと思い、東京ガラス工芸研究所に入学した…という流れです。その東京ガラス工芸研究所で、より専門的な知識や技法を習っていきました。」
ガラスと衝撃的な出会いがあった雅規さんと、幼い頃から好きだったというかおりさん。そんな対称的なお二人ですが、出会いはどのようなものだったのでしょうか。
(雅規さん)「大学卒業後は、福井県あわら市の「金津創作の森ガラス工房(エズラグラススタジオ)」という工房でスタッフとして働いていたんですが、その工房で吹きガラスの学校を始めることとなり、妻が入学してきたのが出会いですね。」
(かおりさん)「私は、東京ガラス工芸研究所を卒業するタイミングで、「金津創作の森ガラス工房(エズラグラススタジオ)」で吹きガラスの学校(BLOW硝子塾)を始めるということで福井に行きました。で、そこでですね。その工房では卒業後も7年ほど働いていました。」
福井県のそのガラス工房がお二人の縁を繋いだのですね。そのあとはIターンで富山県に住まいを移していらっしゃいますが、なぜ富山だったのでしょうか?
(雅規さん)「私は以前から、いつかは海外で経験を積んでみたいと思っていたのですが、福井の工房で働いているときに、オーストラリア人のガラス作家の方に「アシスタントとして働かないか?」と誘われて、就労ビザを取得して約2年間、オーストラリアの工房で働いていたんです。ただ、ビザの期限が切れる前にその後のことを考えなくちゃいけなくなって・・・。
そこで、富山市にある『富山ガラス造形研究所』という日本で唯一の公立のガラスの専門学校で助手の募集があるということで、それに応募することにしたんです。
富山は『ガラスの街』ということを掲げていて、ガラスの世界では世界的に有名で、ある意味、日本国内におけるガラスのメッカと呼べるようなところなんで、いつかは富山のガラスに携わってみたいとは常々思っていたんです。」
富山県はガラスのメッカなのですね。6年ほど住まわれたとのことですが、出雲市へUIターンをすると決めた理由は何だったのでしょうか。
(かおりさん)「雅規さんがガラス工房で働く任期のこともありましたし、子供の事を考えると実家の近くに戻りたいなと思ったのが理由です。やっぱり両親など頼れる人がそばにいると安心するので出雲に戻りたいなと思いました。同時に、いつかは自分達でガラス工房を立ち上げたいという夢があったので、それなら出雲で……という感じです。」
UIターンと同時にガラス工房を立ち上げていらっしゃいますが、大変だった事はありますか?
(かおりさん)「工房を建てる土地探しにはすごく苦労しましたね。ふるさと島根定住財団さんに相談したり、工務店さんや材木屋さんに協力していただいたり、最終的に今の場所に決めました。最初は出雲大社付近なども考えていましたが、なかなか条件に合う物件が見つからず・・・。
吹きガラスの工房では、常に1000度以上の温度でガラスを溶かした状態にあるので、一番に火事に注意しなければならないんです。あと、作業中は機械の音もかなりうるさかったりもするので、周りに民家があったりするとそれが原因でトラブルになることも考えられるので慎重に探しました。」
(雅規さん)「結果的にはココで良かったですね。お客さんが来るのかと心配はありましたけど、すぐ近くに出西窯さんがあって、出西窯さんには全国から多くの方が来られるので、一緒に立ち寄っていただけることも多く、たくさんの人に工房に来ていただけています。あとは、緑が多く自然がいっぱいなので、とても開放的な気分で、制作するうえでもこの上ない良い環境ですね。」
工房を立ち上げるうえでは土地探しが一番大変だったのですね。移住する際、不安や心配事はありませんでしたか?
(かおりさん)「不安はなかったですね。企業への就職等はまったく考えていませんでしたし、やるしかなかったです(笑)色々な方に応援してもらっていて、両親にも資金面や子育ての面で協力してもらっていたので心強かったです。」
ご両親や周囲の方の優しさが精神的な支えとなったのですね。
かおりさんは約20年ぶりのUターンとなりますが、出雲の印象に変わりはありましたか?
(かおりさん)「実家のある平田のほうはお店が増えたな、とか人が増えているな、と感じました。木綿街道には知らないお店もすごく増えてました。」
雅規さんは初めての出雲ですが、どんな印象をお持ちになりましたか?
(雅規さん)「これまでも色んなところに住んでいるのですが、場所が変わってもあまり気にはならないほうなんです。同じ日本海側なので、福井、富山とは気候的にもさほど違わないし・・・(笑)。ただ、子供がまだ小さかったこともあって、子供と遊ぶ場所、出かける場所が少ないのはすごく気になりました。遊園地や動物園、アスレチックなどが近くにはないんで・・・。ぜひ、作ってください!!!」
それぞれ出雲に対する印象を抱きつつ始めたガラス工房Izumoですが、良かったことはありますか?
(かおりさん)「やっぱりお客さんの声を直接聞くことができるのは良かったなと思います。」
(雅規さん)「出雲は日本でも有数の観光地ということもあって、工房にも全国からたくさんの方に来ていただけています。たまに「栃木から来たんです」というお客さんがいると凄く嬉しくなったりもしますし、実は共通の知り合いがいたりとか、それこそ何十年ぶりかに会う知り合いだったりと、まさに『ご縁』を感じることもあります(笑)
あとは、山陰両県はガラス工房が極端に少ないので、テレビや新聞などのメディアに取り上げていただくことも多く、それが工房を知っていただくきっかけにもなっているので、その点は凄くありがたいですね。」
出雲という土地ならではのご縁や地域の方々との触れ合いを大切になさっているのですね。生活面で出雲の魅力を感じることはありますか?
(かおりさん)「人の優しさを感じることが多いです。例えば工房の目前にある畑をお借りして自分達でネギやスナップエンドウを育てているのですが、近所の方に助言してもらったり手伝ってもらったり、たまに作物を交換したりして、そういう交流ができるのは素敵だなと思います。他にも色んな面で気にかけていただいていると感じています。」
逆に、不便な点や心配な点などはありますか?
(雅規さん)「お年寄りの方の方言や訛りは今でも聞き取れないことが多いです。近くに妻がいれば、妻に通訳してもらってます(笑) あと、降雪量が少ないのはちょっと寂しい気も・・・。雪かきの手間は省けますが(笑) スキー場があまりないし、雪質もあまりよくないんですよね・・・(苦笑)
その割に、少しでも雪が積もると道路はガタガタ。福井や富山は融雪・除雪がしっかりしているんで、幹線道路であれば雪が全くなかったりもするんです。雪道の運転には慣れていますが、車が壊れるんじゃないかと心配になるくらいガタガタだったりもするので、そこはどうにかして欲しいですね。」
(かおりさん)「子育ての面ではまだまだ不便だなと思うことはあります。公園はありますが、雨が降った時にも子供たちだけで遊べるような施設や遊び場が増えると嬉しいですね。」
確かに子供だけで遊べる施設は出雲では難しいですよね。今後そういった場所が増えると、より子育て世代が住みやすくなりそうです。
移住・工房の立ち上げから約8年。川辺さんご夫婦もガラス工房も地域に馴染んでいらっしゃいますが、今後の夢や展望はありますか?
(かおりさん)「地元の方が観光客の方に対して『この工房に行くと楽しいよ』と積極的に紹介してもらえるような工房にしていきたいです。」
(雅規さん)「まずは、工房に来ることが出雲に来る目的の一つとしてもらえたら嬉しいです。また、地元の方が、「出雲にはガラス工房 Izumoがあるんだよ」「知り合いが出雲に来たらガラス工房 Izumoに連れて行こう」と言ってもらえるよう、地元の人たちにとっての自慢の一つとなるよう頑張っていこうと思います。
あと、個人としては、より良い作品を作るべく制作に勤しみ、ガラス作家としてさらなる実績を積んでいけたら、と思います。」
最後になりますが、UIターンを考えている方に向けてコメントをお願いします。
(かおりさん)「出雲はゆったりできる環境なのでモノ作りをする方は色々なアイデアを出していけるんじゃないかなと思います。ただ、移住にあたり農業や漁業などは補助がありますが、そのほかクリエイティブな業種に関しても補助制度はもう少し手厚いと嬉しいなと思う事はありますね(笑)UIターンの際は前もって補助を調べたり市役所の人に聞いたりしてみたほうがいいと思います。」
(雅規さん)「モノづくりに関して言えば、集中して制作に打ち込めるような環境が多いのかな、と思います。あとは、人口が少ない=作家の数も少ない、ということもあって、他の素材や他の分野の作家さんと関わる機会が多い、ということもありますよね。様々な分野の作家さんと関わることが増えたことで、ガラスの世界だけでは得られなかったことや作品に対する考え方の視野が広まったようには感じています。あと、出雲にUIターンを考えているという人は、少なからず出雲に興味があってのことかと・・・。であれば、より出雲についてを知ることで、どうすべきか自ずと答えが出るんではないでしょうか。そこから先は、実際に暮らしてみて、良い面も悪い面も自分次第、ということですかね。」
取材の間も時折お客様が来店し、ゆっくりと流れる時間の中でガラス作品や商品を楽しんでいらっしゃいました。
さまざまな出会いやご経験を経て出雲で工房を立ち上げた川辺さんご夫婦。これからもガラス作家として、そして人と人、人とモノの縁を繋ぐ工房として、ご活躍を楽しみにしています。
川辺さん、貴重なお時間をいただき有難うございました。
写真・取材・文 宇佐美 桃子