UIターン者の声

東京都・千葉県からのUターン

山田 真嗣さん

出雲市最西端の町、多伎町。海岸から少し離れた閑静な山間に、山田さんのもつ金魚の養殖池があります。出雲市今市町生まれの山田さんは東京での大学進学・就職を経て、出雲市の地域おこし協力隊の着任を機にUターン。「ずっと昔からやりたかった」という金魚の養殖に取り組み、充実した毎日を過ごされています。 現在の暮らしと、Uターンの経緯についてお話を伺いました。

 

 

鳥の囀りが響き、爽やかな風が吹く山間の休耕田。それらの使われなくなった田んぼを金魚の養殖池に改修した山田さんは、金魚の世話や池のメンテナンスのため大半の時間をこの場所で過ごしています。なかでも一番好きな作業は稚魚の選別だと話してくれました。スプーンのような網杓子で一匹一匹掬って瞬時に選別していく表情は、真剣です。

 

「この選別がやりたくて金魚の養殖家になった、みたいなところがあります」

 

 少年のような笑顔で話す山田さん。金魚は遺伝によって体の柄や形、ヒレの数などが違ってくるとのこと。10万匹のなかで10数匹居れば良いほうだという一級品の金魚は繁殖用として手元に残し、次世代へ繋げていくそうです。

 

「日本の金魚には地金魚と称される地域に根差した金魚が日本各地にありますが、日本三大地金魚といえば高知県の土佐錦、愛知県の地金、そしてもう一つが島根の出雲なんきんです。市場にはあまり出回りませんが、出雲なんきんのブランドを今よりさらに高めていくことを目標の1つとして取り組んでいます」

 

この「金魚愛」はいつの頃からなのでしょう。

詳しくお話を伺いました。

 

「僕が出雲市の今市町(出雲市駅前付近)に住んでいた頃…小学生のときですかね、学校に行く道のりで金魚が放流されている所があったんです。そこで金魚を見るのがすごく好きで、ずっと飽きずに眺めていました。今でも思い入れのある場所ですね」

 

魚全般が好きで、縁日の金魚すくいでとった金魚を飼ったり、中学生に入ってからはグッピーやエビなどを飼育したりしていた学生時代。本格的に金魚にハマったのは、東京で水産大学に入ってからだそうです。

 

「大学に入ったらすごく金魚に詳しい先輩がいて、今まで知らなかった金魚の世界を見せてもらいました。東京は全国から良い金魚が集まってくるので、その人と専門店に行ったり品評会を見に行ったり…そこで金魚マニアの人たちと交流を深めることができました」

 

在学中に品評会へ出品し、見事賞を受賞。そのことがますます金魚の世界へのめり込むきっかけになった、と山田さんは笑います。

 

「受賞したから、金魚の世界でもやっていけるんだ!みたいなことを思っちゃったんです(笑)結果が出ると、やっぱりやる気になっちゃいますよね。そこからずぶずぶと金魚にハマっていきました」

 

そうして山田さんは、良い金魚を沢山見たいという強い動機で、日本で一番大きな観賞魚の輸入卸の会社へ就職。

他の業界への興味は無かったのでしょうか。

 

「一応、他にも色々受けましたけど、大本命はそこですね。会社は面白かったですよ。業界の実情を勉強できましたし、繁殖のノウハウも身につきました」

 

充実した日々を過ごしていた山田さんでしたが、親からの強い希望もあり「いつかは出雲に戻ろう」という思いを持っていたといいます。働きながら島根のUIターンフェアや江津市のビジネスプランコンテスト、しまコトアカデミーなど様々なイベントや講座に参加したという山田さん。

一番の転機はなんだったのでしょうか。

 

「しまコトアカデミーを受講したことですね。出雲に戻るきっかけを掴もうとして常にアンテナを張っていましたが、出雲での仕事をどうするのかということがずっと決まりませんでした。しまコトアカデミーを受講するなかで”出雲で金魚養殖する”アイデアにたどり着きました。講座を通して出会った方々とは受講後も関係性が続いていて、たくさん情報をいただくことができました。受講後しばらくして、出雲市で地域おこし協力隊の募集がかかったと聞き、『ついにきた!』と思って応募しました」

 

地域おこし協力隊の任期は三年。協力隊の業務は受け入れ先の自治体によって色々なミッションがあります。無事、出雲市の多伎町に着任できた山田さんのミッションは“任意団体に所属して地域振興に取り組む”そして“任期後は多伎で定住できるようにする”ということでした。

そこで山田さんは、大好きな金魚の養殖ができるよう、行動を始めます。

 

「ミッションである『地域振興』も『任期後は多伎で定住できるように』も、金魚の養殖はどちらの要素もありました。だから金魚の養殖を業務として取り組みたかったんですけど、最初はなかなかOKと言ってもらえなかったんですよね。けれど僕は、輸入卸の会社で養殖のノウハウだとか売れる金魚(商品)とか販路とかを分かっていたのでそこをきちんと説明したり、色々な方へ相談したり手伝っていただいたりしてOKをもらい、金魚の試験養殖を業務にすることができました」

 

さまざまな苦労を経て、多伎で金魚を養殖していく許可が下りた山田さん。

その後も、休耕田を使ってみてうまくいかないことがいっぱいだったといいます。

 

「休耕田での養殖は屋内と違って、天候や野生生物、水漏れなど色々な要素をクリアしていかないといけないので1年目の成果はほとんどありませんでしたね。今はだいぶ安定してきましたが、それでも試行錯誤を繰り返しています。

あとは、そうそう…成り行き上、お米とイチジクを作ることに決めたんですが、農業をやることは着任当初は全然考えていませんでした。」

 

金魚とは全く関わりのなさそうなお米とイチジク。

一体どのような経緯だったのでしょうか。

 

「お米は、金魚の養殖池を作る予定の田んぼの隣の田んぼの持ち主の方に挨拶に行ったとき『お米も作ってみなさい』と言われて(笑)その後何度かお会いするたびにその話になり、僕が折れた形ですね。最初はお米の作り方なんて全然知りませんでしたし、本当にやれるのか?と思っていて。でもその人が1から10まで面倒見てくれて色々なことを教わりながらやってみたら、田んぼの構造や水の維持の仕方のことなど勉強になることがとても多くて、それがいま金魚の養殖をする上で活かされています。縁ですよね。

イチジクは元々協力隊の地域振興で『多伎いちじく(特産品)』の取り組みをしていたんです。もっと生産量をあげるためには…、とか、担い手を増やすためには…、とかですね。様々な取り組みをするなかで、もっと本質的な課題を肌で感じて課題解決に向けて積極的に関わりたいと思うようになり、それなら僕自身が生産農家になってみよう、ということで始めました。あと、実際に食べてみたイチジクが想像をはるかに上回る美味しさだったのも決め手の1つです(笑)。生産農家になってみて他のイチジク農家さんとの繋がりもできましたし、自分ごととして課題解決に取り組むことにとてもやりがいを感じています。」

 

金魚だけに注力していたら今頃もっと金魚の生産量を上げられたかも…と思ったこともあるそうですが、結果的には全部やってみて良かったです、と笑う山田さん。

今後目標にしていることを伺いました。

 

「一つ目は『出雲なんきん』という金魚に力を入れていきたいということ。沢山の人に認知され、出雲の地で出雲なんきんを養殖していることが僕自身の、そして地域の強みになれば良いなと思っています。

それから二つ目は、家族が一緒に暮らすことですね。今、息子と上の娘は自分と一緒に暮らしていますが、奥さんと末っ子が東京で暮らしているんです。イチジクと金魚、お米だけではまだ皆で暮らせるだけの収入にはならないので…応援してくれている家族のためにも、いつかは自分の収入だけで暮らせるようにしたいです」

 

少し寂しそうに話す山田さんですが、生活の質は東京にいた頃とは比べものにならないようです。

 

「時間の流れがゆっくりですよね、出雲は。昔は夜10時に家に帰ることが当たり前でしたけど、今は夜10時なんて寝てる時間ですもん(笑)朝も遅いので沢山眠れますし、精神的にも肉体的にもすごく健康ですよ」

 

1年を通してご自身のやりたいことを軸にして、自然と共に生活している山田さん。そんな山田さんから、UIターンをお考えの方へのメッセージをいただきました。

 

「僕は周りからよく『金魚の世話は大変そうだ』と言われますけど全く大変ではないんですよ。むしろ楽しいので、そういった仕事をできているのはありがたいなと思っています。『自分が好きなこと』って大変だなと感じるハードルが低いと思いますし意欲的に取り組めるので、とにかく『やりたい』と思うことがあればまずは行動してみたらいいんじゃないかなと思います。

けど一方で、UIターンしたら自分が楽しく暮らしていくために『やりたくないこと』とか『やる予定じゃなかったこと』も絶対やった方が良いと思います。意外な繋がりや知識の広がりを得ることができて一層楽しくなると思いますよ」

 

 

終始生き生きとした様子でお話をしてくださった山田さん。インタビューの最中に拝見した色鮮やかな美しい金魚たちは、山田さんの行動と努力の結晶です。今後も養殖池を増やしたり、金魚を身近に感じてもらうための様々な取り組みを模索したり、「とにかくやってみる」「動けば繋がる」という信念のもと積極的な活動を予定されています。

近い将来、とびきり綺麗な出雲なんきんが山田さんの元で作られて、出雲の名産として全国から注目を浴びるかもしれませんね。

山田さん、貴重なお時間をいただき有難うございました。

 

 

 

 

 

 写真・取材・文 宇佐美 桃子