kawasemi子育て世代&新婚さん 会員No.30

2025.12.31

出雲大社

こんにちは。kawasemiです。

今月は娘の幼稚園の発表会があり、それに合わせて札幌から両親が出雲に遊びに来ました。

両親にとっては初めての出雲。それどころか山陰、島根に来るのも初めてのことでした。

出雲に来た、となればやはり出雲大社に行かなくては。ということで、両親を連れて出雲大社へお参りに。

前回の投稿でも触れましたが、11月下旬から今月半ばにかけての出雲は、全国の神様が集まり縁結びや五穀豊穣などについて「神議り(かむはかり)」を行う、神在月という特別な期間。私たちが詣でたのも、ちょうど神様が出雲を離れる「神等去出(からさで)祭」の当日でした。

私自身、出雲大社には三度ほど訪れていましたが、これほど人出が多いのは初めてのこと。平常時でも十分な賑わいを見せていますが、やはり神在月は特別なのでしょう。この時期の注目度の高さを肌で実感しました。

出雲大社の参道には四つの鳥居があるそうですが、我々は一畑電鉄で出雲大社へと向かったので、くぐったのは二の鳥居から。こちらは「勢溜(せいだまり)の大鳥居」と呼ばれるもので、観光案内や各種メディアで取り上げられることも多い鋼製の立派な鳥居です。

画像を見ても分かる通り、鳥居の前が少し広いスペースになっています。江戸時代、この広場には芝居小屋が設けられ多くの人で賑わっていたそうで、そこから人々の勢いが溜まる場所という意味で「勢溜」と呼ばれるようになったそうです。

私はこちらへ来る前、芸能関係の仕事もしており、その中で神社の境内での野外演劇というのも経験したことがあります。大きなテントの中とは言え、新宿のど真ん中、すぐそばを車や人々が行き交う雑踏の中での芝居は、劇場での公演にはない一種独特な雰囲気がありました。そもそも神社の境内自体が日常と非日常のあわいにあるような場所ですから、そこから感受される効果も非常に大きいものでした。

熱気。ワクワク感。神前に臨む厳粛な気持ち。さざ波のような胸のざわつき……。そんな今も昔も変わらぬ思いが「勢溜」という言葉として残っている。由来を調べるうち、個人的な体験も相まって、何だか「勢溜」という語に不思議な愛着を覚えてしまいました。

勢溜の鳥居をくぐると長い下りの参道が続き、三の鳥居、四の鳥居を経て、いよいよ境内へ。

最初に迎えてくれるのは拝殿。まずはこちらで参拝します。

そして本殿へ。迫ってくるような屋根の威容。大きいながらも決して派手ではなく、どこか古代の息吹を感じさせる佇まい。身が引き締まります。

拝殿の両サイドには十九社(じゅうくしゃ)という末社があります。これは全国から集まった神々が神議りの期間滞在される社です。こちらの社自体は神在月の期間のみならず常に境内にあります。ですから——こう言うと非常に畏れ多いのですが——神様がいる期間といない期間で、見た目というか物理的にはほとんど変化はないのです。なのに、神迎の今全国の神様が出雲に集まっているのだと、そういう目で見てみると、そこに神々が鎮座されている、そんな気持ちになってくるのだから不思議なものです。はっきりとした姿形がないからこそなのでしょうか。一見すると以前と変わらぬ何もない空間なのに、そこに「存在」を見出す。それもまた非常に興味深いことでした。

最後に神楽殿。大注連縄はいつみても圧倒されます。

その他にもスサノオが祀られた素鵞社(そがのやしろ)や(私は山肌が迫る素鵞社などがある本殿裏手の空気が好きです)、神迎の期間だけ設営されている龍蛇神の奉拝所など、今回巡ってみて出雲大社は見どころ満載なことに改めて気付かされました。

人出が多いとは書きましたが、歩くのも一苦労なんてことはありませんでしたし、思い思いに神社内を見て回る余裕は十分にありました(日時によっては交通規制もされますし、非常に混雑する場合もあるかと思います)。

八百万の神々が一堂に会するのは、一年のうちでもこのわずかな期間だけ。興味のある方は是非、神在月の出雲大社に参詣してみてください。私も来年家族で訪れたいと思います。

それではまた。次回の投稿で。