会員No.159

2025.08.12

出雲市の竜宮城

皆様、こんにちは、今回は朱色美しい日御碕神社を紹介していきます。

日御碕神社の御祭神は日沈宮(下の宮)には天照大御神を祀り、神の宮(上の宮)には神素戔嗚尊が祀られています。両本社を総称して日御碕神社と呼ぶそうです。

日没の宮は神代以来現社地に近い清江の浜の経島(文島又は日置島という)に御鎮座になっていましたが村上天皇の勅命によって現社地に御遷座致されたのである。経島に御鎮座の由来を尋ねるに、神代の昔、素戔嗚尊の御子神天葺根命(あめのふきねのみこと)が清江の浜に出し時、島上の百枝の松に瑞光輝き「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮まりて天下の人民を恵まん、汝速に吾を祀れ。」と天照大御神の御神託ありて命即ち悦び畏みて直ちに島上に天照大御神を斎き祀り給うたと伝う。

又「日の出る所、伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り日の本の昼を守り、出雲国日御碕、清江の浜に日沈宮を建て日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らん」と勅の一節に輝きわたる日の大神の御霊顕が仰がれてます。

神の宮は神代以来現社地背後の「隠ヶ丘」に鎮座されていたが、安寧天皇の勅命により現社地に御遷座され(出雲国風土記に見える美佐伎社なり)後に「日沈宮」と共に日御碕大神宮と称される。隠ヶ丘御鎮座の由来は、神代の昔、素戔嗚尊が出雲の国造りの事始めをされてより、根の国に渡り熊成の峯に登り給い、柏の葉をとりて占い「吾が神魂はこの柏葉の止る所に住まん」と仰せられてお投げになったところ、柏葉はひょうひょうと風に舞い遂に美佐伎なる隠ヶ丘に止まった。よって御子神天葺根命は此処を素戔嗚尊の神魂を鎮まります処として斎き給うたと伝えられています。

かのように日御碕は古来、日沈宮は天照大御神が夕日を守り鎮める霊域として幸運恵の神として夜を護り、神の宮は素戔嗚尊の神魂が鎮まります霊地として根の国の根源とし素戔嗚尊をお祀りする日本の総本宮から厄災を除け、開運の神様と天下の尊敬をうけています。

最後に日御碕神社は日本の意味を知ることが出来、深く感動しました。出雲の神話に触れると日本人が忘れていた和の心が甦える気がします。興味のある人、無い人がいる現代ですが日本人として産まれて良かったと心から感謝し、心から思える素晴らしい日御碕神社でした。最後まで長文読んで頂きありがとうございました。