アマルフィー
海の匂いが風に溶け、坂の上から港町を見下ろすと、まるで映画のワンシーンのようだった。
家々が隙間なく山肌に寄り添うように並び、そのすぐ目の前には限りなく青い海が広がっている。
イタリアを訪れたことはないが「小伊津(こいづ)」を山陰のアマルフィーと呼ぶのもわかるような気がする。
観光地として整備された場所ではなく、ありのままの日常が息づく風景。トンビが風をとらえて旋回しながらゆっくりと空高く舞い上がっていく。静かな漁港には、どこか懐かしさの漂う、のどかな時間が流れている。
そんな中、散歩中の年配の男性に声をかけられた。軽く挨拶を交わしただけのつもりが、それをきっかけに堰を切ったように昔話がはじまる。県外ナンバーだったこともあったのかもしれない。今は立派な道路が通っているが、かつては目の前の山に狭くて細いトンネルがあり、車が通るたびに歩行者は壁に身を寄せてやり過ごしたという。
話は地元の神社のこと、そしてこの地に息づく信仰の話にも及んだ。
島根半島には「四十二浦」というものがあり、それぞれの浦で海水を汲み一畑薬師に奉納する習わしがあるのだそう。神仏に近い海の力を借りて、願いや祈りを届ける意味があるのだろうか。
ひとしきり話をしたあと、照れくさそうに笑いながらご自身の話をされた。こないだの結婚記念日に奥様が「生まれ変わってもあなたと結婚したい」と仰ったのだとか。思わず微笑んでしまう。あたたかく、やさしく流れる時間。気がつけば立ち話のまま1時間が過ぎていた。別れ際、足元にすり寄ってきたのは、このあたりで暮らす地域猫。人懐こくて、撫でるとゴロゴロ喉を鳴らす。港町に猫、なんとも似つかわしい。